49歳で第一子を出産した女優の小松みゆきさん。アラフィフで新米ママとなった小松さんに、不妊治療や高齢育児の大変さを伺いました。
40歳を目前に結婚も「まだ間に合うかな」
── 旦那さんとの出会いについて教えてください。
小松さん:8歳年下の主人とは、私が20代の頃に行きつけのショップで知り合いました。その後、友人と一緒に食事に行ったり、二人で出かけたりするようになり、31歳のときにおつき合いがスタート。38で結婚するまでは、半同棲のような感じでほぼ一緒に過ごしていました。
── 結婚の申し出はどちらから?
小松さん:最終的には主人からです。結婚については、私の方から「どうする?」と突ついていましたが、具体的な話にはならず…。32歳の時に一生ひとりで住むことを覚悟してマンションを購入したんです。
ところが、彼が30歳になった年に「結婚しようか」と申し出を受けてびっくり!彼なりのタイミングがあったのかもしれませんが、その時、私は38歳。「こっちの年齢も考えてよ!」と思いましたね(笑)。
── 不妊治療をスタートさせた経緯について教えてください。
小松さん:不妊治療を始めたのは、42歳の時でした。結婚して1、2年経っても妊娠しなかったので、40歳になった頃には「病院に通うべきかも」と考えていました。しかし、当時、どうしても出演したかった舞台の仕事が決まっていて、「舞台が終わるまで」と仕事に専念し、42歳から治療をスタートしました。今思えば、「何を呑気に」と思ってしまいますが、あの頃の自分は「まだ間に合うかな」と考えていたんです。
5回の転院、10回以上の顕微授精で総額1000万円以上
── どのようなステップで不妊治療を行ったのですか?
小松さん:42歳から約4年間、さまざまな治療と検査を受けました。最初はタイミング法からスタートしましたが、すぐに人工授精に切り替えました。その人工授精も結果が出なかったため、顕微授精にステップアップ。その後、10回以上顕微授精を行いましたが、妊娠には至らず…。結果的に、染色体検査を受けて「異常なし」と判定された受精卵で、妊娠することができました。
── 転院も何度かされたそうですが、その理由は?
小松さん:着床しづらい原因を知りたかったからです。顕微授精のプロセスにおいては、大きな違いはないのですが、検査項目やオプションなどは病院ごとに異なります。私は、約4年の間に5回程転院しましたが、最終的には染色体検査ができる病院に落ち着きました。
欧米では、受精卵の染色体検査を行うことが浸透していますが、日本ではまだ一般的ではありません。年齢などの条件もありますが、「検査できる項目は検査しておきたい」という気持ちで、情報を集め、転院先を決めていました。
また、私の場合「子宮内膜炎」であることも、着床のしにくさに影響していることがわかりました。そのため、採卵までのプロセスが一通り終わった46歳以降は、子宮内膜炎の治療に専念。その後、48歳の時に胚移植した受精卵で、無事に第一子を授かりました。
── 不妊治療の期間、大変だったことや辛かったことは何ですか?
小松さん:金銭面の負担ですね。お金が工面できないと採卵も検査もできません。治療にかかった費用は1000万円以上。貯金は使い果たしてしまい、親にもお金を借りました。
今は不妊治療も保険適用になりましたが、助成金などは年齢や回数の制限はあります。治療を検討する人には、限られたチャンスを無駄にしないよう、できる検査は早めにやっておくことを勧めたいです。
── 旦那さんは、不妊治療にどのように向き合ってくれましたか?
小松さん:主人も不妊治療に前向きでいてくれました。資金面でのサポートはもちろんですが、採精にも抵抗感を持たずにいてくれたのは助かりました。病院から採精の日程を告げられるのですが、その都度、仕事を調整して病院に通ってもらっていました。
出産時はコロナ禍だったため主人とは面会することができず、退院後にようやく娘と会えた時は、言葉にならなかったようで、娘をずっと抱きしめていましたね。そんな主人の姿を見たのは初めてで。「私にそんな顔見せたことないよね」なんて思いましたけど、娘を「かわいい、大切」という思いが伝わってきて嬉しかったです。
49歳で新米ママ 体力の衰えと「眠れない」日々
── 育児に奮闘するなかでどのような点に大変さを感じますか?
小松さん:一番大変なのは「眠れないこと」です。育児と仕事に加えて、18匹の保護猫のお世話もしているため、十分な睡眠時間が確保できず…。年齢的に体力やスタミナも落ちているので、なかなかしんどいです。主人の仕事休みは基本的に日曜日のみで、親も高齢のため頼ることができません。
スタミナを維持するためにも「食べる」ことが大切なのですが、座ってゆっくり食事をすることすら難しくて。食べても食べても体重が落ちてしまう現状です。今は、娘のご飯を作る合間など、立ちながらでも食べるようにしています。また、糖質は控えて質のいいタンパク質を多めに摂るなど、栄養面にも気をつけるようにしています。
── お子さんは今年、3歳になりましたね。日々の接し方で意識していることはありますか?
小松さん:イヤイヤ期に入ったからか、だいぶ主張が強くなってきましたが、娘を叱る時は、私と主人のどちらかが、娘の「逃げ場」になってあげることを常に意識しています。私の両親がそうだったのですが、母親に叱られた時、父親がいつも逃げ場になってくれていました。両親のどちらかが、怒らず受け止めてくれることで、私自身、安心できていたと思います。
主人には、「怒るのは私の役割。お父さんは怒らないでね」と伝えています。今後、しつけなどの面で、私が娘に叱らなければいけないことが増えると思いますが、主人には何があっても娘の味方でいてほしいと思っています。
── お子さんが産まれて夫婦の関係は変わりましたか?
小松さん:主人と二人で暮らしていた頃は同じ方向を見ていましたが、今は二人とも娘にベクトルが向いています。「将来、娘が巣立ったら夫婦の会話がなくなるのでは?」と感じることもあるくらい(笑)。それくらい娘中心の生活ですが、待ち望んだ子どもなのでそれでもいいかなと思っています。
子どもの成長はあっという間だと思います。小学生になったら、友達との時間が楽しくなって、次第に親から離れていくのでしょう。主人は「親バカと言われてもいいから、他の人では満足できないくらいお父さんのことを好きにさせたい」なんて言って甘やかしていますが(笑)。娘との時間を大切に、日々を過ごしていきたいですね。
PROFILE 小松みゆきさん
女優。1971年、福島県で生まれる。実践女子大学在学中にスカウトされ、1990年にグラビアモデルとしてデビュー。その後、女優としての初作品となる『福本耕平、かく走りき』では準主役を務め注目を集める。1992年以降は女優の仕事に専念し、『大奥』シリーズや『デスノート』『闇の歯車』など出演作多数。2009年に結婚し、不妊治療を経て2021年に第一子を出産する。
取材・文/佐藤有香 画像提供/小松みゆき