度重なる遅刻も「悪いほうがイケてると思ってた」

── ギャルに目覚めたのは、高校に入学したころからですか?

 

紺野さん:そうですね。モー娘。全盛期だったので、ストレートアイロンで髪をまっすぐにして、いかにゴマキやなっちに近づくかとか、ルーズソックスに憧れてリブのソックスをくしゅくしゅにするとかは中学生のころからしてたんですけど、中学卒業後の春休みにギャル雑誌の『egg』を開いたんです。その瞬間、もう完全にこれだ!ってとりこになって。ガングロとかヤマンバとか、だらしないけどかわいいみたいな感じにめちゃくちゃ憧れて、髪を染めたりアイプチをしたりつけまつげをつけたりするようになりました。

 

高校に入学してからは、最初のころだけは真面目に登校したんですけど、1年生の時点でもう年間100回以上遅刻するようになっていて。登校時間ギリギリの電車ってあるじゃないですか。駅に着いたら仲のいい友達に会って、「ギリギリ!一緒、一緒!」って言って、チャイムが鳴り終わるまでに片足でも教室に入っていたらオッケーだから、キンコンカンコーン♪のタイミングでダダダダダーっと校内を走って、キンコンカンコーン♪が鳴り終わるときにみんなで教室に滑り込んで「セーフ!」みたいな。

 

その様子を見てもらうのも、なんか一体感があって楽しかったんですよね。思春期ならではの、ちょっと悪いほうがイケてる、ちょっとはみ出してる人のほうが注目される、かっこいいみたいな。そういうことが自己表現だと勘違いしていました。

 

ギャル時代の紺野さん

── 先生に注意を受けることもありましたか?

 

紺野さん:地元には高校入学後1か月で退学した子もいて、そういう子は朝まで遊んでいて。私も夜中はコンビニや公園にたまったり、どうしても今すぐかわいいキティちゃんサンダルを買いたいっていう衝動に駆られて自転車を飛ばしてディスカウントストアへ行ったり、カラオケでオールしたりしていたので、授業中に寝てしまうことも多かったんです。移動教室があるのに休み時間に寝ちゃって移動しなかったとか、1限目からお昼が過ぎるまで起こされてもずっと寝てたとかもよくあって、注意を受けていました。

 

高1の夏休みに金髪にしたんですよ。せっかくきれいなブリーチなのに、2学期のためにまた黒髪に戻すことが嫌すぎて。髪を黒く染められるスプレーで何とかしてみようと、スプレーをかけたんです。そしたら金色と黒色のまだら模様になって阪神タイガースファンみたいになって(笑)。その姿で朝礼に並ぶと、やっぱりみんなが見るじゃないですか。校長先生や教頭先生に「この学校が開校して以来、こんな人間は生まれたことがない」とか「前代未聞だ」とか言われたりもしましたね。

 

あと、これは今でもたまに友達から言われるんですけど、みんなで文化祭準備をするときに、私が水玉模様の蛍光ピンクのブラトップ1枚で校内を練り歩いてたんですよ(笑)。その格好で肌を焼いている様子を先生が目撃して、めちゃくちゃ怒られたこともあって。「あの子は何なんだ!」って、先生たちにずっと思われてたと思います。学校から家に電話がかかってきて、親が呼び出されて、停学になることもありましたね。

 

PROFILE 紺野ぶるまさん

1986年生まれ、東京都出身。松竹芸能東京養成所を経て、2010年にデビュー。「ABCお笑いグランプリ」や「R-1ぐらんぷり」、「THE W」で決勝進出を果たした。著書に『「中退女子」の生き方~腐った蜜柑が芸人になった話』(廣済堂出版)、『下ネタ論』(竹書房)、『特等席とトマトと満月と』(幻冬舎)がある。2019年に会社員男性と結婚し、現在は1児の母。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/紺野ぶるま