普通の家族だったはずが…

有さんと翔さん 小さい頃

── 翔さんが中学生になるといかがでしたか?

 

郁代さん:翔が中学1年生のとき、兄の有は中学3年生だったんです。有がすでに野球で名が知られていて新聞にも載っていたし、地元では「ダルビッシュ、ダルビッシュ!」と注目されていました。そんな状態で翔が中学に入ったので、いつもお兄ちゃんと比べられる。多感な年齢でもありましたし、自分の多動性や劣等感もあって、本人はすごく苦しんだと思います。

 

また、有はすごく人見知りだったので、心を許した人としか喋らなかったんですね。でも、たとえば地元で不良と呼ばれる子たちが、有名人がいると近寄りたいみたいなことってあるじゃないですか。その子たちは本当は有のところに行きたいんですけど、有がまったく人を寄せつけない空気を出している。そこに今度は弟の翔が中学1年として入ったということで、翔のところに寄り始めたんです。

 

翔は有と性格が真反対で、誰とでもしゃべって友達になるし、そこは翔の魅力だなと思っています。でも、不良と呼ばれる子とも垣根なしに「遊ぼう!」みたいな感じになっていたのか。翔が中学に入ったあたりから、だんだんと不良の子たちと繋がるようになっていったんです。

 

翔はやっぱり、自分はお兄ちゃんのような英雄にはなれないし、自分に対して情けないとか葛藤も抱えながら、周りにも散々言われたと思うんですよね。自分がどう生きていけばいいのかすごく悩んだでしょうし。でも、道を外れてる子たちと一緒にいると、自分は何も頑張らなくてもいいし、翔が悪さをしても「それあかん!」って言う人もいない。だからその場所が居心地がよかったんだと思います。

 

次第に行動範囲もどんどん広がって、親としてはどこで誰とどう繋がってるかわからない状態になってしまい。夜勝手に出ていこうとして「行ったらあかん!」と言っても出て行ってしまうようになりました。

 

大人になった今は「俺は当時、自分がヤンチャなことしてるのが楽しかったからやっただけやし、誰のせいでもない。有のせいで何か言われるのが嫌やったとは違う。自分が彷徨っていただけだ」と言っていますし、実際それもあったと思います。
 

── 誰のせいにするでもなく、当時の自分を見つめられて。翔さんにお母さんが怒ることはありましたか?

 

郁代さん:もちろんありましたけど、もう翔も私たちから逃げてましたね。顔を見ると何か言われるのがわかってたから避けるような感じはありました。

 

そもそも、うちは普通の家だったんです。私の両親と2世帯で住んで、あたり前ですけど家でご飯を食べて、家族でくつろいでっていうごく普通の家だったんです。でも、翔が付き合っていた不良と呼ばれる子どもたちはそうじゃない子も多くて。親が子どもを長い間ほったらかしにしてるとか、子どもだけで家にいるパターンもたくさんあって、そこが溜まり場になってることもありました。

 

翔もだんだんと家に帰らないことが増えていって、あるとき一回「いい加減にしなさい!もう出ていきなさい!」と怒ったことがあるんです。そしたら本当に出て行ってしまって、あちこち探し回って2、3日くらい探したのかな。ようやく翔を見つけたときは、親が夜居ない子の家に居ましたね。