ダルビッシュ有の母・郁代さん。有選手は小学2年生から野球を始め、早々に実力を発揮するも、一度は野球から離れた時期があったそうです。その理由と野球再開を決意したある人の言葉とは── (全6回中の2回)。
サッカーをして欲しかったはずが
── 長男のダルビッシュ有さんは小学2年生から地元の少年野球チームに入ったそうですね。親として、将来はプロ野球選手になってほしいといった願望がもともとあったのでしょうか?
郁代さん:いやいや、まさか。全然思ってなかったですね。野球チームも友達に誘われて入ったくらいで、地域でやっている野球チームに入りたいと言ったから、じゃあ入ったらいいよって。本当はお父さんがサッカーをやっていたので、有にもサッカーをやらせたかったんですね。
お父さんが神戸にある外国人のサッカークラブに入っていて。自分がサッカーをするときに有を連れて行っていたので、いずれ「自分もやりたい!」って言ってくれたらいいなって思っていました。そのときわかったんですけど、有は接触ゲームが嫌いなんですね。だからサッカーには全然興味を示さなかったです。
また当時は、私たち家族と私の両親で2世帯住宅に住んでいて、有が小学1年生の頃くらいからおじいちゃんの部屋にいって、おじいちゃんと一緒にテレビで野球を観ていたんです。当時は月曜日以外はテレビでもプロ野球を放送していて、おじいちゃんから野球のルールや試合の流れを教えてもらって、そこでも興味を持っていたんですね。私も子どもは何か運動してた方がいいと思ったし、有が小さい頃から人と接することが苦手だったので、できるならチームスポーツをやって欲しいなっていうのはありました。
── その後、小学2年生から野球チームに入ったそうですが、入った当初から野球のレベルが高かったそうですね。
郁代さん:そうみたいですね。とにかく背が高いし運動神経もそれなりにありました。まあ小学生で本当にうまいかどうかわかりませんけど、まぁまぁ、普通よりは上にいけるんかぁという感じでしたね。それに運動神経が発達してると言っても、それ以上に協調性や仲間意識を学んでほしいという気持ちが強く。そこからまさかプロの世界に行くなんて、まったく思ってなかったです。
── 野球を始めるにあたり、親子で約束事などありました?たとえば時間を守るとか、勉強はちゃんとするなど。
郁代さん:実は勉強はまあまあできたんですよ。だから私は、有は勉強を頑張って、将来的には海外で何か学んで欲しいみたいなことを勝手に思っていたんですね。野球は土日だけなので、小学5年生のときから進学塾に入れて、野球と塾で同時進行していました。
でも野球が上達しても周りから「ハーフ」と呼ばれて注目されたり、私にも1回だけ「なんでお父さんのような、外人の人と結婚したの?」と言ってきたこともありました。もともと誰とでもすぐにコミュニケーションが取れるタイプではないし、周りとの関わりにストレスが溜まっていたんだと思います。
勉強も頑張っていましたが、野球も勉強も同時には精神的にきついと言われて。私も主人もこれ以上何かを期待するのは辞めようと。一番大事なことは人として伸び伸びと生きていくことだから、有が好きなようにさせようと、まずは様子を見ることにしたんです。