有を招き入れてくれた人の存在
── そうした意地悪をされたときに我慢をするのか。またはやり返すこともあったのでしょうか?
郁代さん:たとえば殴るとか目に見える意地悪だったら本人もやり返したかもしれないですけど、そうじゃなくて「あいつにだけ黙ってどこか行こうぜ」とか。やり返すことができない形でした。あとはみんなから「あのときお前はああだった、こうだった」と言われのない言葉を投げかけられるとか、自分の気持ちの持って行き場がないし、フラストレーションがものすごく溜まってる状態だったと思います。
そんなこともあってか、小学4年生のときに2回くらい、ある男の子をボコボコにしたことがあったんですね。なぜそんなことをしたのか分からないですけど、学校から有が友達に怪我をさせたという報告を受けました。私も仕事をしていたので、夜にはその子の家に謝りに行く予定でしたが、それより先に怪我をさせた子のお母さんから電話があったんです。
そのお母さんは自分の子どもが怪我をして帰ってきてるから「どうしたんや?」みたいに聞かれたと思うし、普通だったら文句を言ってくると思うんですよ。でも、そのお母さんが「今日学校でこういうことがあったと。お母さん(郁代さん)がどんな人かも分からないですけど、何か子ども(有)が抱えていることがあるんじゃないか。だから有くんの気持ちを聞いてやってほしい」って言ってくださったんですよ。
それが、そのお母さんと初めての接点でした。お母さん同士の中でもリーダーシップをとるタイプのお母さんでしたが、その電話がきっかけでお母さんが私のことをすごく好きになってくださって、有も含めて仲間に入れてくれることを積極的にやってくださったんです。そのお母さんの家で友達同士が集まってご飯を食べていたようですが、そのときに有のことも、子どもに「呼んで来い」みたいな感じで言ってくれて、私にも声を掛けてくださって。お母さん同士繋がろうみたいなことをしてくださったんです。
── そのお母さんの存在は大きそうですね。
郁代さん:その人がいなかったらあの状況から抜けられなかったと思います。そのお母さんが単純に子どもたちを家に呼ぶだけじゃなくて、遊びに来た子どもたちにも有のことを何回も話をされたと思うんですね。それで子どもたちも有に対してもう嫌なことはやったらあかんと、だんだん理解していったと思うし、そのお母さんがみんなに有を受け入れるようにしてくれましたね。
もちろんすべてが一気に改善したわけではなかったんですけど、そのお母さんがすごく親身に動いてくれたり、私も少しずつ現状がわかってきたので、本人に「こんなことあったの?」と気づかい的なことが言えるようになってきて、有も少しずつ思ってることを言える環境にはなっていったと思います。
PROFILE ダルビッシュ・セファット・郁代さん
長男・有、次男・翔、三男・賢太の三兄弟の母親。夫はイラン出身の実業家、ダルビッシュ・セファット・ファルサ。NPO法人ウインウインを設立。現在は代表理事として、子どもから大人まで多くの世代が交流できる場、心の休まる居場所の提供を目指す活動などに取り組んでいる。
取材・文/松永怜 写真提供/ダルビッシュ郁代