ダルビッシュ有の母・郁代さん。今やメジャーリーグで活躍する有選手ですが、子どもの頃は周りの環境と馴染めず苦労した時期があったといいます(全6回中の1回)。
ある日、学校から連絡がきて
── 郁代さんは長男のダルビッシュ有さん、次男の翔さん、三男の賢太さんと3人の息子さんのお母さまでいらっしゃいます。子育てをするにあたって意識していたことはありますか?
郁代さん:それぞれ個性があるので、特にこんな子に育って欲しいといったものはなかったんですけど、男の子ですし、とりあえず生きていくのに強い子であって欲しいとは思ってました。
── 長男の有さんについて。有さんは、お母さんから見てどんな子どもだったと思いますか?
郁代さん:ものすごく小さいときから、考えられないくらいシャイでした。シャイというか、人に気を許して接することができない。たとえば保育園や小学校にあがるとき、新しい環境に行くたびに周りと馴染むまでにとにかく時間がかかる子どもでしたね。
保育園は2歳4か月から入りました。主人が外国人だったので、家庭ではもともと英語で育てていたんです。それが途中で保育園に行くことになって、2、3か月の間で最低限の日本語が話せるようにバタバタッと練習しましたが、保育園に通い出してもしばらくはみんなとうまくコミュニケーションが取れなかったでしょう。少ししんどい気持ちで行ってたのかなと思います。
── 小学校の生活はいかがでしたか?入学当初から身長も周りより少し高かったとか。
郁代さん:周りより頭ひとつ大きかったですね。私たちは大阪の羽曳野市というところに住んでいるのですが、有が生まれた37年前は、周りにハーフの子っていなかったんです。保育園の頃は有がハーフだと認識する子も少なかったかもしれませんが、小学生になると「ダルビッシュ」という名前でみんながすぐに気づくんですね。
身長も高いし黙っていても目を引くので、休み時間になると他のクラスや学年の子どもたちが教室まで有のことを見に来るんです。「あの子や、あの子…!」みたいな感じで指を指されるみたいで。もともと性格がシャイなのに、嫌でも目立ってしまってつらいなという思いはあったみたいですね。
── その延長で、誰かにからかわれるとか、意地悪されるようなことはありましたか?
郁代さん:小学校4年生の頃かな。ちょっと周りから離されるというか、そんな状況はありました。友達と冗談を言うとか、周りとワイワイできたらよかったんですけどそうではないし、友達もどう接していいのか分からなかったかもしれません。
子どもの頃ってすごく残酷でもありますよね。たとえば人のことを「ブタ」とか、いろいろな形で言うじゃないですか。それがうちの子は「ハーフ」と言われて、周りからちょっと意地悪しようぜ、みたいな雰囲気になっていた時期はありましたね。