デビュー2曲目から15年間曲が売れなかったと語る小林幸子さん。『おもいで酒』のヒットで紅白ほか活躍の幅が広がりますが、豪華衣装のプレッシャーや本番アクシデントにも遭遇して。(全4回中の2回)

心が折れるからキャンペーンは行かない

── 10歳でデビューするも2曲目から曲が売れず、15年間不遇の時代を過ごしたと聞いています。その後、『おもいで酒』が200万枚の大ヒットとなり大きく世界が変わったそうですが、突如、有線放送で1位になったと聞いたときは、どう思いましたか?

 

小林さん:今まで「1位」「売れてる」って言われてこなかったので、最初、冗談でしょ!?って思いました。演歌でお酒がつく歌はすごく多いから、『おもいで酒』といっても私が歌ってる『おもいで酒』じゃないだろうと信じられなかったですね。

 

── 『おもいで酒』のキャンペーンにいかれたそうですが、はじめは乗り気ではなかったそうですね。

 

小林さん:スタッフさんにキャンペーン話をされても「行かない」って言ったんです。もう答えがわかってるから。今まで何十回も曲を出すたびに全国を回って、その度に「心が折れて帰ってくるのはもう嫌だ…!」って言いました。でも「そう言わずに」「いつか化ける感じの曲だから」と言われながら迷っていて。

 

ある日、伊東にあるハトヤのショーで歌っていたときに、ダンサーのお姉さんが「さっちゃん、本気でもう辞めようと思っているなら、最後にもう一回キャンペーンに行ってきなよ。もう一回行ってそれでもだめなら諦めることもできるでしょ」と言ってもらって。ダンサーのお姉さんの言葉がなければ行ってなかったですね。

 

その年、レコード大賞や紅白にも出場できました

 

豪華な衣装を身にまといステージで歌う小林幸子さん

── 1979年に『おもいで酒』で紅白初出場。小林さんの衣装は常に注目されていましたが、はじめから煌びやかな衣装が多かったのでしょうか。

 

小林さん:最初は色を決めてましたね。『おもいで酒』はもともと白で通していたので、紅白でもおとなし目の白を着ました。翌年の『とまり木』はブルー。でも、紅白3年目になると今までなかった緊張を感じるようになってきたんです。初出場も緊張しましたけど、最初で最後だろうと思って、客席も演者さんも全部目に焼きつけておこうと思ったんです。

 

それが翌年も出場が決まり、2年目、3年目となるとどんどん緊張が増していきました。それでもステージは華やかにしたい。大晦日は皆さんに楽しんでもらいたい。そこでちょっと派手な衣装にしてみようと思って鳥をイメージした衣装を着て本番に臨んだんです。ステージからお客さんもたくさん見えますが、ステージの真ん前に審査員の方々も座っています。いよいよ本番になって、歌いながら衣装の羽を広げたその瞬間、女性の審査員の方が「ワァっ」って歓声を上げ笑顔になってくれるのがわかりました。そこからですね。これだ!と思いました。ものすごく平常心に戻ることができたし、衣装も年々工夫を凝らしたものになっていきました。

 

── 毎年豪華な衣装が話題でした…!

 

小林さん:オスカルの格好や十二単とかね。そのあたりから歌と衣装が全然合わないという声もありましたが(笑)。私は楽しんで着ていたし、みんなも喜んでくれたのでよかったのかなと思います。「次はどんな衣装ですか?」「何色ですか?」ってものすごく期待されるようになっちゃってプレッシャーもなくはなかったですが、毎年衣装を楽しんでくださる方もいらっしゃってありがたかったですね。

 

紅白が終わると、当時劇場公演をずっとやっていたので、翌年そこでお見せすることもできました。常にプランを練りながら約30年間続けさせていただきました。

 

── 途中からコスチュームプランナーの方も介入されて、衣装の枠を超えて舞台装置と言われるようにもなっていきました。

 

小林さん:当時、市川猿之助さん(その後の市川猿翁さん)がスーパー歌舞伎をずっとやってらっしゃって、元々ファンだったんです。私もああいう格好をしたり、宙乗りをしたりもしてみたい…!と思ったら、いてもたってもいられなくなって。楽屋に伺って、断られる覚悟でコスチュームデザイナーの方を紹介していただけないかと直談判したら、快くOKしてくださいました。

 

13回目(1991年)出場の『冬化粧』では、足が床から離れる衣装で宙乗りをやりました。