10歳でデビューした小林幸子さん。しかし2曲目から全く曲が売れず、実家は新潟の地震に遭遇し15歳で一家の大黒柱になっていき── 。(全4回中の1回)

歌手になるつもりはなかった

── 小林さんが小学4年生、9歳のときにお父様に連れられて新潟から東京のTBSテレビ『歌まね読本』に出場。このことがきっかけで10歳でデビューされたそうですが、元々歌手になることが夢だったのでしょうか?

 

小林さん:まさか自分が歌手になるなんて、夢にも思ってなかったですね。9歳の時、ある日突然父が東京見物に連れて行ってくれると言うのでついて行ったら番組のオーディション会場でした。歌ってみたら、番組に出演することになり、そのままチャンピオンになり、デビューの話をいただきました。父は歌手を夢見ていた少年だったので、デビューの話が出て喜びましたが、母は猛反対。両親そして親族会議では話がつかず、幸子に聞いてみようと言われ「歌手になりたいか」と聞かれて、よくわからないまま「なりたい」って言ってしまったんです。そこから人生が大きく変わっていきましたが、今9歳の小林幸子に言うとしたら、「大変だよ」と言うと思いますね。

 

── 10歳でデビューされて、その後も順調に活動が続きましたか?

 

小林さん:1曲目は売れましたけど、2曲目からピタッと売れませんでした。ただ、子どもでしたから、映画やドラマなど子役として結構お仕事もいただけたんです。他にもコメディやバラエティ、コントにも出させていただきました。プロデューサーの方にも厳しく教えてもらって、その時は大変だなって思ってやっていたことが、後々引き出しになっていったのは大きいですね。

 

── 歌については、約15年間不遇な時代を過ごされたと聞いています。実家に帰ることも考えましたか?

 

小林さん:辞めたいと思いましたが、「なりたい」と言った責任みたいなものを子どもながらに感じていました。さらに、デビューした年に新潟で大きな地震があって、その影響もあり数年後肉屋だった実家は潰れてしまいました。立て直そうと頑張りましたが、5年後両親と姉2人の家族4人が東京にきて、家族5人でまた暮らすことになりました。再び家族と一緒にいられるのは嬉しかったのですが、父は50を手前にして仕事も見つからなかったですし、姉も学生だったので、私が15歳から一家の大黒柱になって家族を支えるようになりました。

 

当時はクラブとかキャバレー、飲食店で歌う場所もたくさんあった時代です。仕事をしたらその日にお金がもらえる仕事がいっぱいありましたが、お店に15歳と告げると労働基準法に引っかかるからダメだと言われてしまって。それでも私が働かないとという思いで、本当はダメなんですけど18歳と言ったら「明日来て」って。何より仕事がないと困るので「できません」「歌えません」「知りません」といった言葉も全部封印して、できてもできなくても「できます」といってその後に歌を覚えたり努力しました。その後、姉2人も立派に学校を出して、あとは両親の面倒を見るだけってなったら肩の荷が降りました。もういいやって思った時に『おもいで酒』のヒットに繋がっていった感じです。

 

── 家庭の状況もあったと思いますが、15歳で一家の大黒柱はかなりのプレッシャーだと想像しますが、「私ばっかり…!」とはなりませんでしたか? 

 

小林さん:私を芸能界に引っ張った父がすごく猛省していたんです。「俺を恨んでるか」と聞かれて何も言えなかったですね。姉たちは学校に通っていましたが、姉たちもたぶんどこかで犠牲になっていたでしょうし。

 

9歳の時に父に連れられて歌番組へ出た小林幸子さん

── しかし、15年売れない時代はかなりハードですよね?

 

小林さん:厳しかったです。私が15歳になったころにすごくヒットしていたのが、ちあきなおみさんや石田あゆみさんです。色っぽい歌が流行っていて、私もそうした歌を出してはいましたがまだ若く全然売れなかったですね。20歳くらいになってやっと大人の年齢になってきたかと思えば、アグネス・チャンとか山口百恵ちゃんなどのアイドル時代がきて、私がやっていることが全部逆行するんですね。

 

途中で辞めたくなることは何度もありました。何度も嫌になりましたが、歌しかなかったんです。それまで芸能以外のことはやってこなかったし、あとやっぱり歌が好きでしたね。たとえばクラブやキャバレーで「ジャズ歌えますか?」と聞かれたら、「歌います!」と言って歌ってました。歌ったことがなくても。バタバタっと紙に歌詞を書いて覚えて練習して、歌いましたね。

 

── いろいろなお店で歌われていたそうですが、お客さんの反応はいかがでしたか?

 

小林さん:「お酒を飲みに来てるんだから歌なんか聞きたくない」という人もいれば、ちゃんと聞いてくれて「頑張れ!」って応援してくださる方もいました。ホステスさんが一番優しかったです。シングルマザーの人もたくさんいて、たとえば大きなキャバレーになると託児所があるんです。そこに、ホステスさんがオギャーと泣いている子どもを託児所に預けて出勤していきます。数時間お店に出て、最後お客さんを見送るときにチップをもらったり「また来てね〜!」と挨拶して、バタン!とお店のドアが閉まった瞬間、託児所に飛んできて「ごめんね〜、遅くなって…!」と急に母親の顔に戻るんです。

 

また、ホステスさんのなかでもすごい競争があって、トップになるために勉強しているでしょうし、お客さんの取り合いで喧嘩しているのも何度も見ました。私は10代だったのでただ見ているだけでしたが、すごいドラマだなって。いろいろ勉強になりました。