ジブリの鈴木敏夫プロデューサーを父に持つ鈴木麻実子さんに、「カントリー・ロード」の作詞秘話や父とファンの交流の場をオンラインサロンで作った経緯について伺いました。(全3回の2回)
作詩は「誰かになった気持ちで」
── 18歳でジブリ映画『耳をすませば』の主題歌「カントリー・ロード」の日本語作詞をされました。これは父親の鈴木敏夫プロデューサーからお話があったそうですね。
鈴木さん:宮崎さん(宮崎駿監督)が「10代の女の子がどんなものを書くのか見たい」という感じだったので、とりあえずやってみて、書けなくてもいいやぐらいの本当に軽い気持ちで書きました。
── 当時、作詞活動をしていたんですか。
鈴木さん:中学生の頃から趣味で詩を書いていました。でもそれを人に言うのは恥ずかしいことだと思っていたので、周りには内緒にしていたんです。でもひとりだけ同じように詩を書いている子がいて、その子とだけ見せ合っていました。日記の延長みたいな感じで、日記は文章だったんですけど、どちらかというと詩を書く方が好きでした。
── 「カントリー・ロード」はどんな思いで書いたのでしょうか。
鈴木さん:18歳というよりは、もうちょっと大人の気持ちでした。私の中のイメージは、働いている人。おそらく求められていたのは、10代の気持ちだったんですけど、その頃の自分がもうちょっと大人びたものを書きたい時だったんでしょうね。10代の青春みたいなことはあまり思い浮かばなかったので、23歳ぐらいの気持ちで書きました。それに設定も男の子だったんです。なので、採用されないと思っていました。
── 書かれた詩を見た宮崎駿監督が絶賛されたと。
鈴木さん:そうですね。でも私としては「これ、歌詞だったの!?」と。映画になるまで主題歌になるということもまったく知りませんでした。あの時、もし私が10代のそのままの気持ちを書いていたらどうだったんだろうと思います。何かを書く時に、自分の気持ちで書くより、誰かになって書くっていうことが多くて。思い浮かんできた人に自分を投影して書いています。
── ご自身のことを表現しないのはなぜですか。
鈴木さん:単純に恥ずかしいですよね。もちろん、自分の内面を書くこともありますけど、人には見せたくないです(笑)。
宮崎駿監督は「お父さんのお友達」
── 宮崎駿監督はどんな存在ですか。
鈴木さん:すごい監督だということは小さい頃は知らなくて。お父さんのお友達だと思っていました。お父さんと同じ会社の、仲がいい人。そもそも映画を作るということ自体よくわかっていなかったんです。夏になると宮崎さんの別荘に行くこともあったので、そこでお会いしたり、 あと会社に遊びに行ったりもしていました。
── 父親の鈴木敏夫プロデューサーが当時10代だった麻実子さんのことを宮崎駿監督と話して、作品作りの参考にしていたそうですね。
鈴木さん:宮崎さんからは直接聞いたことはないんですけど、『魔女の宅急便』のキキは私がモデルだっていうのを、いろんな方から言われました。でも自分では作品を見ても、特にキキとリンクするところはないんですよね。
── 作詞のほかにどんな仕事をしていましたか。
鈴木さん:高校を卒業して、飲食店での接客業から始めて、そこからずっと美容サロンで働いています。子どもを産むときにいったん辞めましたが、今も美容サロンのマネージャー業をしています。
作詞など書く仕事は単発でお受けしていました。久石譲さんから頼まれて書くこともあったのですが、仕事は好きだったんですけど、自分からする方法がわからなかったんです。
でも、ずっと書く仕事をしたいというのは頭の中にあって、実際にライターの面接にも行ったことがあるんです。でも取材してそれを記事にするっていうのはちょっと違うなと。作詞の仕事はお話をいただいたらやるという感じでした。
オンラインサロンで変わった父親への思い
── 3年前から、父親の鈴木敏夫プロデューサーをゲストに呼んで映画について語る活動などをするオンラインサロンを立ち上げました。発足の経緯を教えてください。
鈴木さん:コロナ禍で、著名人の方が亡くなるニュースを目にしたときに「父もコロナで死ぬかもしれないな」と思った時があって。父のお葬式でどんな文章を発表しようかと、ずっと書いていたんです。それを書いていたら、もう父がすぐにでも死んでしまうような気持ちになって。もしかしたらこういうことあるかな、と思うと結構、真剣に考えてしまうタイプで…。
── 実際にコロナに感染したんですか。
鈴木さん:いえ、意外と父は罹らなくて。「これはもしかしたら、このまま生き延びるかもしれない」と思った時に、「もしあのときいなくなっていたら、父との思い出があんまりないな」と思ったんです。
小さい頃から忙しかった父とそこまで関わったことがないっていうのがあって。一緒に映画は観ていましたけど、父の仕事のことは何にも知らない。父と仕事をしてみたいという気持ちが生まれてきたんです。何かを一緒にすることで、強制的に時間を作りたいなと。
YouTubeやラジオなどいろいろ考えたんですけど、実際に父と2人だけでするのはちょっと恥ずかしい(笑)。「私ができることってなんだろう」と考えたら、父と、父のことを好きで興味がある人とを繋げるのが面白いんじゃないかと思ったんです。
人が嬉しくて驚いたり楽しんだりする姿を見るのが大好きなので、それもできるし、父との時間も持てると思いました。コロナ禍で、オンラインサロンも流行り始めていましたし、それにのっかって始めたという感じです。
── オンラインサロンを始めて意外な気づきが多いそうですね。
鈴木さん:父も私と一緒の時は、父親モードなので結構リラックスしていつもの家族に近い感じでやっていますが、ファンの方から聞く父の姿は、私が知っている人とは違います。まったく知らなかった事実を知ることが多いです。
── ジブリ作品のファンとの交流の場にもなっています。
鈴木さん:周りの友達は、 ジブリファンでも最初は私に言ってこないんです。仲良くなって、何年も経ってから聞くことが多いですね。なんで?と聞くと、そういうのが目当てで友達になっていると思われたくなかったと。なので、これまで直接ジブリ作品のファンの声を聞く機会はあまりありませんでした。
オンラインサロンのメンバーから聞く父は、すごく真剣に仕事をして、いろいろ考えていて、それに父もサロンのメンバーの前では仕事への思いを熱く語っているんです。
── 父親に対する思いの変化はありますか。
鈴木さん:メンバーに感化されている部分もありますが、 実際に父と接してみて、仕事の面だけではなく人に対しての気配りや配慮も伝わってきます。映画の感想会などもしているんですが、その準備の様子などを見ていると、どんなことにも真剣に取り組んでいる姿を初めて目の当たりにして。今は尊敬の気持ちが強くなりました。
PROFILE 鈴木麻実子さん
1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。現在は1児の母となり、父と娘のオンライサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。2023年10月エッセイ集「鈴木家の箱」を発売。
取材・文/内橋明日香 写真提供/鈴木麻実子