スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーを父に持つ鈴木麻実子さんに、空想が好きだったいう幼少期の話や主宰するオンラインサロンでのトークエピソードについて伺いました。(全3回の1回)

父は「一緒に住んでいると思っていなかった」

── 小さい頃はどんなお子さんでしたか。

 

鈴木さん:イマジナリーフレンドがいました。映画『屋根裏のラジャー』などでイマジナリーフレンドという言葉が浸透した感じがあると思いますが、 私は小さい頃から空想していることが多かったと思います。でも、当時はイマジナリーフレンドという言葉も知らなかったですし、みんなに空想上の友達がいると思っていました。空想はいわゆるひとり芝居なのですが、私としては友達と遊んでいる感覚でした。

 

鈴木敏夫さんと鈴木麻実子さん
父親の鈴木敏夫プロデューサーに肩車されてニコニコ!小さい頃の麻実子さん

中学生ぐらいになってから日記や詩を書くようになるのですが、私は常に頭の中で文章を書いているんです。人と接している時も、自然とその状況を文章にしているということに気がつきました。

 

── 数多くのジブリ作品を手がけた父親の鈴木敏夫プロデューサーは、やはりお忙しそうでしたか。

 

鈴木さん:日曜日だけいる人という感じでした。家族揃ってご飯を食べるのは日曜だけ。平日も深夜には帰ってきていたんでしょうけど、小さい頃は一緒に住んでいると思っていなかったんです。父は日曜の昼間に、うちの下にあったパチンコ店に必ず行くんですが、私はチョコレートが好きだったので景品のチョコレートを20〜30枚もらえるのが嬉しかったことを覚えています。

 

中学生くらいになって夜中に起きていたときに、 父が深夜2時頃に帰ってきて、4時ぐらいまで映画を観ていることを知りました。すごく小さいテレビだったんですけど、父はそれで映画を観てから寝るという生活をしていましたね。

 

── 家に帰ってすることが、まず映画を観る。

 

鈴木さん:他の家のことを知らなかったので、お父さんってそういうもんだと思っていたんです。一緒に遊びに出かけたことはあまりないのですが、夏に必ず旅行には行っていました。

 

中学生くらいになると、正直一緒に行きたくなかったんですけど、母から「お父さんは普段仕事が忙しくて旅行だけが楽しみだから、一緒に行こうよ」と言われて。しぶしぶですね。

 

── 旅行先ではどんなことをするのでしょう。

 

鈴木さん:思春期になると私はずっと漫画を読んでいたんですけど、夜は必ず家族で映画を観て、そのあと人生ゲームをするのがお決まりでした。

 

── 家から持っていくんですか。

 

鈴木さん:はい、 旅行先には絶対に人生ゲームとビデオデッキを持って行っていました。旅行中は『北の国から』や、向田邦子さんのドラマ、それに大河ドラマも観ていました。大河ドラマは撮りためていたものを何日間かかけて一気見するんです。

「トトロちゃん」と冷やかされて

── さまざまな作品に小さい頃から触れていたんですね。周りから、父親の仕事のことを言われることも多かったのでしょうか。

 

鈴木さん:私は、父がどんな仕事をしているのかあまりよくわかっていなくて。最近ようやくプロデューサーという仕事がわかってきたんですけど、小さい頃は「プロデューサーって監督でもないし、何をする人なのかよくわからない」という感じでした。

 

でもやはり周りからは、「お父さんすごいね」とか、「宮崎駿と一緒に仕事しているんでしょう」と言われて。本当に知らなかったのでその度に私は、「よくわかんない」と答えていました。それに冷やかされるのも嫌でした。「トトロちゃん」と呼ばれることもあって。

 

鈴木敏夫さんと鈴木麻実子さん
孫の運動会に訪れた鈴木敏夫プロデューサーと麻実子さんの父娘ショット

── 当時、父親のことはどう思っていましたか。

 

鈴木さん:成長するにつれて、父が家にいないのは仕事が忙しいからだというのがわかってきたんです。それにうちは母も仕事をしていてベビーシッターがいたので、普通の家庭への憧れというのがありました。

 

家族で毎日一緒に夕飯を食べるという習慣もなかったので、ドラマで一家団らんしている様子を観ると、「こういう家に生まれたかったな」と思っていました。親の仕事が忙しいせいでうちはできないんだと思っていたので、会社に対して嫌な感情もあったと思います。

 

── ご両親はどんな子育てをされていたと思いますか。

 

鈴木さん:うちは父と母で真逆なんですけど、父は忙しくて家にいなかったということもあるかもしれませんが、放任主義といいますか、なんでも受け入れてくれる感じでした。でもそれは、私に興味がないということなんじゃないかと思って、反抗していたこともありましたけどね。父は私が何をしても怒るのではなく、「なんでそうなったの」と聞いてくれるようなタイプでした。


それとは逆に母はすごく厳しくて。生活のルールや門限もそうです。2人の言っていることが全然違うことが当時はストレスでした。たまに、母と私が揉めるのが面倒だから父が母の味方をする時もあって、そのときは裏切られたような気持ちでしたね(笑)。でも父は、昔から子ども扱いはせず、対等に話せていたと思います。

オンラインサロンで知る父の仕事の姿

── 3年前からスタートしたオンラインサロンでは、ゲストに父親の鈴木敏夫プロデューサーをお呼びしてファンの方と繋げる活動をされているそうですね。

 

鈴木さん:父の仕事を目の前で見たことがなかったので、正直、「本当に父がしているのかな」と疑いの目で見ていたこともあったんです。でも、サロンのメンバーの前だと仕事について熱く語る姿を見て、本当に真剣に仕事に取り組んでいるということがわかって。大人になって父を尊敬するようになりました。

 

── ジブリファンを公言されている米津玄師さんとの食事会もされたそうですね。

 

鈴木さん:米津さんは、すごく感激されて「僕がここにいるなんて光栄です!」とおっしゃっていたんですが、こちらも同じ気持ちで。「米津玄師がうちにいる!」って(笑)。米津さんは昔からジブリのファンだそうで、作詞論について語ったり、小さい頃に私と同じようにイマジナリーフレンドがいたりした話もしました。

 

── 一緒に仕事をするようになって、父親を見る目は変わりましたか。

 

鈴木さん:世間一般の父に対するイメージと私のイメージがまったく違うことがわかりました。父の緻密なところや、記憶力がいいところとか、仕事で見せる姿に関する話を聞いて。父がメンバーに対する思いや態度を見るのも新鮮です。皆さんが喜んでいる顔がみたいという思いで始めたものの、実際には私がいちばん喜んでいるというぐらい楽しいです。幸せを感じられる瞬間がたくさんありますし、改めて父のことを知らなかったということも気づかされました。

 

PROFILE 鈴木麻実子さん

1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。現在は1児の母となり、父と娘のオンライサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。2023年10月エッセイ集「鈴木家の箱」を発売。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/鈴木麻実子