鈴木準弥選手は、昨年7月にFC東京からFC町田ゼルビアへ完全移籍し、新天地ですぐに活躍しました。J2優勝とJ1昇格に大きく貢献した鈴木選手ですが、FC東京では出場できない日々が続き、「必要とされないことがめちゃくちゃキツかった」と言います。支えてくれた奥さまへの思いと夫婦喧嘩、そして今季の抱負について伺いました。(全4回中の4回)

家事をやらず「奥さんにブチギレされる」ことも

サッカーボールに興味津々なお子さんたち

── 2人の娘さんについて聞かせてください。

 

鈴木さん:3歳と1歳の女の子で、試合を見に来て「きょう勝ったね」とか「パパきょう負けたね」とか言ってくれます。

 

子育てでは、おむつ替えがやっぱり難しくて。おしっこは全然替えられるんですけど、うんちって難しいじゃないですか。動かないときはいいんですよ。でも寝返りを始めるとなかなか大変だし、女の子ってどこまで拭いていいのかわかんなくて。だから「ちょっと!うんちしたよ!」と言って、つい奥さんを呼んじゃいますね(笑)。

 

ただ、サッカー選手は家に帰る時間が早いので、午後2時前ぐらいには帰宅して、子どもと犬とたくさん遊んでます。


子どもには、やりたいこととか欲しいものはなるべく全部与えてあげようと思っていて。わがままな子に育つという側面があるかもしれないけど、僕はそのために頑張って稼いでるので、子どもに欲しいものがあったら誕生日やクリスマスじゃなくてもあげたくて、おもちゃとかも買っちゃうんです。でも、子どもって新しい物を買ったらそっちのほうがよくなって前に買った物を使わなくなるから、「物を大事にさせたい」って奥さんに怒られたりもしています。

 

── 夫婦喧嘩をすることもありますか?

 

鈴木さん:毎日のようにありますよ。喧嘩しすぎて何が原因だったかわからないぐらい(笑)。僕は年の離れたお姉ちゃんが3人いて、ずっとお母さんが4人いるような環境だったんです。家に帰れば絶対に女の人が1人はいて「腹減ったー!」って言ったら何か作ってくれていて。奥さんも結婚前からうちの家族と仲が良かったんで、「俺もお父さんみたいな感じだよ」って前もって昭和スタイルであることは伝えていたんですけど…。

 

当時は僕への好きな気持ちが強かったからなのか何も言われませんでしたけど、一緒に暮らし始めるとバチバチにキレられました(笑)。

 

僕はいつも食べたものや飲んだものをそのままテーブルに置いて、テレビの前のソファーに移動するんですよ。そしたらもうブチギレです。最初はテーブルの上のものを「シンクに入れて」って言われてたんです。でも、やらない僕を見かねた奥さんが「カウンターに置いて」って。それでもやらないから「じゃあ、せめて食器を重ねて」って。奥さんが徐々に妥協してくれて、今は食器を重ねて、テーブルをウェットシートで拭くことはしています。

 

── 奥さまに頭が下がります!

 

鈴木さん:本当に奥さんのおかげで成り立っていると思います。僕らの地元・静岡県の藤枝MYFCからブラウブリッツ秋田へ移籍するときも、奥さんにはオファーが来たことと移籍を決めたことだけを言いました。僕はサッカーをしてたから海外や地方に行くのが当たり前だけど、奥さんはずっと静岡に住んでて、離れた土地で暮らすのなんて初めてだったんで、お腹に子どもがいたタイミングで秋田に引っ越してくれたことはすごいと思います。

 

ちなみに昨年末に結婚式を挙げたんですけど、流産や出産、コロナ禍などがあったので、6年越しにようやくだったんです。でも僕が初めて結婚式場を見たのは、12月に入ってから(笑)。打ち合わせも1回だけ、10分間だけ顔を出して、あとはほぼすべて奥さんが準備してくれました。本当に感謝しかないです。

出場できないときは夜になると気持ちが沈んで

── 家庭内でサッカーについて話すことはありますか?

 

鈴木さん:サッカーの話は1ミリもしないし、奥さんにも「何も言わないでほしい」って伝えています。秋田からFC東京へ行ったときは、待ちに待ったJ1という舞台でわりとすぐに数試合出られて。「このまま行ってやる!」という思いがあったんですけど、全治1か月ちょっとの怪我を負ったんですよ。その間に監督が変わったりもあって、町田に移籍するまでのほぼ1年半、出場できずでした。

 

出られないときはめちゃくちゃしんどくて。今までサッカーがすべてで20年間くらいやってきてたんで、サッカーがよければ気持ちは上がるし、サッカーがダメだったら気持ちは沈む。ダメだったときは、何かひとつでも自分が気になるプレーがあると、それがずっと頭に残るし。

 

J1だともらえる金額は少し上がるかもしれないですけど、気持ちの充実度が高くないとしんどいなって感じていましたね。選手からするとサッカーや所属してるチームが「社会」であり「世界」だから、そこで貢献できていないことと、必要とされていないことがめちゃくちゃキツかったです。

 

少しでも役割があったり、自分にはこれだけはできてるっていう貢献度があったりすればいいんですけど、それがまったくないときって本当にキツいんだなと思いましたね。

 

── 気持ちの切り替えやコントロールは、どのようにされていましたか?

 

鈴木さん:僕は切り替えがめっちゃ苦手なんですよね。奥さんには詳しく聞いてないんですけど、試合に出ていない約1年半、だいぶ気を使ってくれていたと思います。練習が終わって家に帰ったら子どもと奥さんと犬がいるから、子どもが寝る夜8時か9時までは時間も早く過ぎるけど、寝静まると「あーまた明日も練習か…」って気分が下向きになったまま夜を過ごして。

 

当時FC東京で指揮を執っていたアルベル監督は、練習開始の少し前に練習メニューを各自に送ってくるんですよ。そのメニューでなんとなくスタメンだろうという選手と、メンバーに入れなさそうな選手がわかるんで、夜寝る前になると「明日もあのメニューを見るのか…」という気持ちになって。でも心のどこかで、もしかしたらメンバーに入ってるかもしれないっていう希望を持ちながら練習場に行って、ジムや室内練習場でストレッチをするんですけど、練習15分前にメニューが送られてきて、「あーやっぱりそうか」ってまた落ち込んで。僕はそもそも昔からあんまり周りに言わないタイプで。まあ、でも犬だけにはちょっとはそういう様子を見せてましたけど(笑)。

 

だからプロとしてはいいことじゃないんですけど、本当に精神的に無理になったときは「もういいや」って1回逃げだして、食事内容に気をつけず食べたいものを食べたり、夜12時を過ぎてもゲームをやってみたりしました。2~3日ぐらい続けると自分に対して徐々に罪悪感が出てくるので、当時はそうやって逃げることでなんとか気持ちをリセットしてましたね。

 

「結果を残す!」絵馬に今季の抱負も

── 最後に、社長として、サッカー選手として今後の目標を教えてください。

 

鈴木さん:社長としては、保護犬や流産経験者などへの支援をしていく一方で、しっかりと利益を出せるビジネスも作っていきたいなと思っています。犬のことや支援のことっていうのは、自分がサッカー選手として収入があるからこそできる活動なので、この活動を引退したあとも続けていくために、サッカー選手ではないところでも利益を出せる軸というものを作り上げたいと思います。

 

小さいころからサッカー選手になることを目標として今までやってきて「選手としてもっと上に行きたい」という思いがある一方で、選手になったからこそ「つらい経験をした人たちの支援がしたい」という新たな目標もできたので。その目標をかなえるために、サッカー選手という手段を使う、そしてサッカー選手としての価値を自分自身がもっと上げていくことで、もっともっと影響力を出せるようになるのかなと考えています。

 

選手としては、J1という舞台で結果を残したいです。FC東京のときは自分をうまく表現できなかったから、自分を表現したうえで結果につなげていきたいなと。あとは、J3にいるときもJ2にいるときもやってきたんですけど、J1ではまだ子どもと一緒に入場したことがないんで、J1の舞台でも子どもを抱っこして入場したいなと思いますね。無意識でもいいから、なんとなく「パパってすごいな」とか「パパってかっこいいな」と思ってもらえるような父親を目指したいです。

 

PROFILE 鈴木準弥さん

1996年1月生まれ。早稲田大学卒業後、ドイツ3部VfRアーレンに入団し、藤枝MYFC、ブラウブリッツ秋田、FC東京を経て2023年7月、町田ゼルビアに完全移籍した。妻、3歳と1歳の女の子、愛犬と暮らしている。地元・静岡県沼津市に「株式会社 準弥」を設立し、社長としても活動中。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/鈴木準弥、株式会社ゼルビア