民謡一家に生まれ、アイドルグループも経験。若いときに産んだ子どもたちもいる。模範的な母親ではないけれど、胸をはれる人生がある。小湊美和さんの人生観とは。(全4回中の4回)

 

意外!?「代アニ」で講師をしていたころの小湊さん

「育児は“いいとこ取り”しかできなくて…」すれ違いで離婚

── 3人のお子さんのママでもある小湊さん。17歳の若さで結婚し、18歳のときに最初のお子さんを出産されたそうですね。

 

小湊さん:18歳で1人目を、20歳のときには2人目を産みました。21歳でオーディションを受けるために、子どもを家族に預けて単身上京したので、子育てといえるようなことはしてこなかったと思います。

 

きっと一般的な親ならそんな選択はしないのかもしれませんが、私の場合、民謡の家元という芸事の家に生まれ、両親が側にいない生活が当たり前の環境で育ったので、ものすごく特別なことをした感覚はないんです。

 

ただ、小さいころに一緒にいてあげられず、その後、離婚もしましたので、きっと子どもたちは思うところがたくさんあったのだろうなと、申し訳ない気持ちもあります。

 

── 当時、夫だった方には、上京を反対されたりしませんでしたか?

 

小湊さん:とくに、とがめられたことはなかったですね。後から聞いた話では、結婚するときに、母から「娘はこの先、歌で活躍する場ができたら、家を離れてしまうかもしれないけれど、それでもいいの?」と聞かれたらしいんです。

 

どうやら母は「いずれはそういう未来もあるかもしれない」と感じていたようですね。彼も納得して結婚したとはいえ、いきなりオーディションを受けるために上京する急展開に、きっと心のなかでは、モヤモヤや戸惑いもあったと思います。

 

太陽とシスコムーンでの1年間半の活動期間はものすごく忙しく、帰省さえできませんでした。彼もまだ若かったし、寂しい気持ちが強かったのでしょう。結局、離婚することになり、協議の結果、次男だけを連れて出ていきました。

 

次男は田舎で伸び伸び育っていたので、そのまま両親に任せ、私は東京で活動を続けながら、ときどき帰っては子どもの面倒を見たり、遊んだりする「いいとこ取り」をしていたので、子育てをしたとは言えません。

 

その後、小学校に上がるときにいまの主人と再婚し、東京に連れてきました。彼はすでに社会人として独立しています。2004年には、いまの夫との間に長女が生まれて今年で19歳になりました。

 

男の子というものはでわからないことだらけ。接し方を悩んだあげく、「宇宙人だ!」と思えるようにしていました(笑)。娘の場合は、「いま、へそを曲げているけれど、私にもそういう感覚があったな」などと、理解できる部分が多く、同じ育児でもずいぶん違うなと感じます。3人目にして、ようやく子育てを最初からやりきったという気がしていますね。

 

── 一番上のお子さんとは、その後、交流はされていらっしゃるのですか?

 

小湊さん:高校生になったころから、連絡を取り合うようになりました。彼には、本当になにもしてあげられないまま離れてしまいました。

 

過去のことを言ってもしかたがないので、「いまから私にできることがあれば、何でも言ってほしい」と伝えて、そこからは一緒に出かけたり、手助けが必要な場面で相談に乗るなどしてきました。

 

私の一方的な想いですが、「なにか手をかけてあげたい」と、ずっと願って生きてきたので、その気持ちを少し消化することができたかなと。彼もすでに独立しているので、私の役割は終わったのかなと思っています。

周年イベントで再会「若い人や女性ファンが増えて嬉しい」

── 2000年に太陽とシスコムーン(99年にT&Cボンバーに改名)が解散した後は、ソロとして活動を続けてこられましたが、2019年には復活ライブを行い、話題になりました。

 

小湊さん:太陽とシスコムーンの結成20周年として「COTTON CLUB」(東京・丸の内)という素敵なステージで生バンドを入れてライブをしました。お客さんもすごく楽しんで盛り上がってくださいました。10周年のタイミングから5年ごとにイベントをして、15周年のときはトークライブを行い、上海からRuRuも出演してくれたんです。

 

15周年イベントの様子

私のなかでは、20周年に大きめのライブをしたので、そろそろ終わりでいいかなと思っていたのですが、先日、ハロプロ25周年のコンサートに「太陽とシスコムーン」として出演したとき、私たちのステージがとても好評だったらしく、「次はどんなイベントやるのか」と、期待する声をたくさんいただいたんです。

 

そんな声に背中を押され、来年の太陽とシスコムーン結成25周年で、またライブをやれたらいいなと計画を始めてみました。ありがたいことにチケットも毎回、即完売で、昔からのファンはもちろん、若い方や女性のお客さんも増えているんです。次があるならどんなことをやろうかなと、稲葉と信田と一緒に頭を悩ませている時間が楽しいですね。

 

RuRuは現在、結婚して家族でアメリカに住んでいるのですが、歌手としては完全に引退しているので一緒に活動するのは難しくなってしまいました。でも、連絡はとっていて、3人での活動を応援してくれています。

2年間の講師活動「つんく♂さんに学んだことをかみしめて」

── 2018年から2年間、『代々木アニメーション学院・つんく♂メソッド』で講師を務めていらっしゃいました。きっかけは、つんく♂さんからのオファーだったそうですね。ハロー!プロジェクトにはたくさんの卒業生がいるなか、小湊さんに声がかかったのはなぜだったのでしょう?

 

小湊さん:舞台でパフォーマンスをする能力と、教える能力は違います。私の場合、民謡の家に生まれ、師匠に教わる経験をずっとしてきて、自分にも弟子がいます。「人にものを教える」ことに抵抗感がないのが、大きかったのではないでしょうかね。あとは、ひまそうだと思われたんじゃないかな(笑)。

 

── そんなことないと思いますけど(笑)。つんく♂さんからは、どんな言葉を?

 

小湊さん:つんく♂さんからは、「音楽に対する大切な思いを、これから活動していく人たちに教えてあげて欲しい」と言われました。

 

ただ、実際、指導するにあたって、生徒たちに何をどんなふうに伝えればいいだろうかと、すごく悩んだんです。そこで、過去の「ASAYAN」の映像をすべて見返し、つんく♂さんが何を言い、どんなふうに伝えていたのかを勉強しました。

 

つんく♂さんは、リズムというものをすごく大切にしていますが、バックボーンや経験値がまったく違う子たちに、言葉にするのが難しいリズムという感覚的なものをちゃんと伝え、ひとつのグループとしてまとめ上げていく。そのすごさをあらためて実感しましたね。

 

── 生徒さんにはどんな話をされたのですか?

 

小湊さん:音楽的なことだけでなく、オーディションでの心がまえや舞台に立つためにどんな準備をすべきか、芸能界でのトラブルの乗り越え方など、自分の経験を交えながら話しました。

 

たとえば、「オーディションなら課題曲はすべて歌えるようにしておく、ほかの人のセリフも覚えておくといった準備をしておくことで、アピールできるチャンスにつながるかもしれないよ」とか。

 

実際に声優志望の生徒さんが、違う役のセリフも覚えていったところ、「やってみてくれる?」と言われ、オーディションに合格することができたと報告してくれたんです。嬉しかったですね。

 

ただ、自分が経験してきたことは、自信をもって強く話せるけれど、未経験のことを聞かれたときにどう答えるかが難しい。想像力を働かせながら、別のことにたとえて話す対応力が問われます。ほかにも、ほめ方や伝え方など、いろんなことを学ぶ機会になり、私も成長できたのでないかと思っています。

 

人になにかを教えるということは、人間力が試され、鍛えられるんだなと実感しましたね。

 

── 現在はどんな活動をされているのですか?

 

小湊さん:民謡や弟子の指導、太陽とシスコムーンのメンバーたちとの活動、尺八演奏者の弟(小湊昭尚さん)との音楽ユニットなど、いろいろな歌手活動をしていますが、最近では、演歌の方や石井竜也さんなどのコーラスに参加させていただくことが多いですね。

 

通常、コーラスというと黒子的な役割で、誰の声かわからないようなものが多いものですが、私の場合、「ハーッと声を張って歌ってください」と言われたりして(笑)。

 

個性を尊重した使い方をしてくださるので、すごくありがたいなと感じています。石井竜也さんとは、デュエットのようなソロパートがある曲も歌わせていただいたんですよ。

 

民謡、ポップスなどジャンルを決めずに、「歌ならなんでも歌う」スタンスでやってきたら、こんなおもしろいことになるんだなあと、いまの状況を楽しんでいます。

 

PROFILE 小湊美和さん

こみなと・みわ。1977年生まれ、福島県出身。民謡小湊流家元の長女として生まれ、幼いころから民謡の舞台に立つ。1998年、オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)で行われた「つんく♂プロデュース芸能人新ユニットオーディション」に合格。99年に『太陽とシスコムーン』の一員としてデビュー。2000年に解散後は、ソロとして活動している。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/小湊美和(つんく♂さん、太陽とシスコムーンメンバー、ハロプロメンバーの写真は小湊美和さんのSNSより引用)