個性の塊だった伝説のアイドルグループ「太陽とシスコムーン」。誕生までにどんなことがあったのか、グループ内のいざこざは?メンバーだった小湊美和さんに聞きました。(全4回中の2回)
『ASAYAN』最終オーディションは半分が脱落
── 1998年に『ASAYAN』(テレビ東京)の「つんく♂プロデュース芸能人新ユニットオーディション」に参加されました。振り返って、どんな印象でしたか?
小湊さん:それまで民謡歌手としてNHKのオーディションなどは受けたことはありましたが、だいたい審査員の前で歌って終わり。でも、『ASYAN』は、バラエティー番組で一連の流れをすべて見せる構成で、カメラはずっと回っていて、なんだか不思議な感覚でした。
── オーディションで思い出に残っているエピソードはありますか?
小湊さん:審査で16人までふるいをかけられた段階で、直接、つんく♂さんの前で歌を披露することになったんです。半数以上がタレント活動経験者で、アイドルや宝塚出身、女優さんもいましたが、「私は私、歌さえちゃんと歌えればいい」と自分を奮い立たせました。
ただ、課題曲がすべて声を張らないタイプのJ POPばかりだったんです。私は民謡歌手なので、どうしても声を張って歌ってしまう。ですから、あまり自信がもてず、「こういう曲はふだん歌ったことがないです…」と伝えたら「じゃあ、違う曲をもう1曲歌ってみて」と2曲披露できることになりました。
そこで、大黒摩季さんの曲を歌ったところ、つんく♂さんから「もしも選ばれたら踊ることになるけど、大丈夫?」と言われて。ダンス経験はゼロでしたが「頑張ります!」と即答しました。
最終オーディションでは、アメリカのサンフランシスコで42日間の合宿をしました。8名が2チームに分かれ、毎週パフォーマンスを披露する過酷なものでした。
合宿中、私と稲葉(貴子)と信田(美帆)の3人は先に合格が決まったのですが、「ほかの子たちのほうが出来が良かったら、いつでも入れ替わる可能性があるから」と危機感を持たされていたので、最後まで必死でしたね。4人目として中国人のRuRuが選ばれ、メンバーが決定しました。
── RuRuさんの物怖じしないキャラは、インパクトがありました。
小湊さん:RuRuは、思ったことをすぐに口に出してしまうタイプなのですが、それがユニークで可愛くもありました。彼女は日本に来てバイトをしながら、テレビアニメを教材に独学で日本語を覚えた頑張り屋さん。若いのに気持ちが強いし、賢い子でしたね。
── メンバーのなかで、信田さんは元オリンピックの体操選手という異色の経歴。歌の経験がなかったので、選ばれたときは少し驚きました。
小湊さん:つんく♂さんはもともとスポーツがすごくお好きで、信田が現役時代にオリンピックで活躍する姿も見ていて、リスペクトがあったみたいです。私たちを見る目とは、ずいぶん違っていました(笑)。
加入させれば、グループとして面白い存在になることはわかっていたけれど、歌はまったくの未知数。「せめて歌えますように」と願っていたら、思った以上に好みの歌声だったんじゃないかと思います。
メンバー皆が大人「ケンカした記憶はほとんどない」
── 民謡歌手の小湊さんに、関西のアイドルグループ・OPD(大阪パフォーマンスドール)の稲葉さん、元オリンピック体操選手の信田さんに、中国人歌手のRuRuさん。まったく違ったバックボーンを持つ異色のユニットとして、ハロー!プロジェクトでも異彩を放つ存在でした。
小湊さん:全員個性が強かったですが、すでに年齢も20代でしたし、みんないい意味で大人で、お互い仕事仲間だと割りきって活動できていました。そのおかげで、いがみあったり、ケンカをしたりということは、ほぼなかったんじゃないかな。
リーダーを立てなかったのですが、我の強い私たちをうまくまとめてくれるのが、稲葉でした。彼女、顔立ちだけ見るとすごく強そうですけど(笑)、中身はまったく違っていて、自己主張も激しくないし、穏やかで平和な性格なんです。
彼女はアイドルグループとしてたくさんの女の子たちと活動をしてきているので、全体を見ることができて周りを気遣える。歌も踊りもできるから、つんく♂さんも稲葉のことは頼りにしていましたね。
4人のなかで仕切り屋は私。MCでも大事な告知などは稲葉が伝えてくれるから、後は私が回す流れが多かったですね。あと、RuRuの扱い方は私が一番うまかった(笑)。
── たとえばどんな場面でしょう?
小湊さん:仕事で多少理不尽なことがあっても、私たちなら「まあ、そういうこともあるよね」とやり過ごす場面で、RuRuは黙っていないんです(笑)。
状況を説明しても、文化の違いもあって理解が追いつかないことも多く、「すぐそうやって1対3になる!」と、キーっとなってしまう。彼女は声も大きいし、口調も強いので、怒っている人が苦手な稲葉は引いてしまうのですが、そこでRuRuにかみくだいて説明するのが、私の役割でした。
そもそも芸事の師弟関係のなかで育ち、怒鳴られることが日常でしたから、怒る人を怖いと思わないし、動じない性格だというのもあります。
信田もまた厳しい世代のオリンピック選手でしたから、そういう場面は慣れっこでしたね。お互いの性格を理解して、要所要所でカバーしあえていたのが、うまくいった秘けつなのかなと思います。
── 太陽とシスコムーンは楽曲のクオリティーが高く、いまだにハロー!プロジェクトのライブで歌い継がれるほど人気がありますよね。
小湊さん:そうなんです!わたしたちもそれは本当に誇りに思っていますね。当時、つんく♂さん自身がすごく波に乗っていて、自分のやりたい音楽、女の子に歌わせたい曲がどんどん湧き出てくるようなスイッチが入っていたんじゃないかなと思うんです。
やっぱり商業音楽の世界だから、いろんな立場の大人たちが要望を出してきて、作り手としては制限される部分もあると思うのですが、おそらく太陽とシスコムーンはNGがなかったんじゃないかなと(笑)。
だから、つんく♂さんも自分の好きな音楽をやりたいようにぶつけることができて、面白がってくださっていた部分が、あのクオリティーにつながっていた気がします。
PROFILE 小湊美和さん
こみなと・みわ。1977年生まれ、福島県出身。民謡小湊流家元の長女として生まれ、幼いころから民謡の舞台に立つ。1998年、オーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)で行われた「つんく♂プロデュース芸能人新ユニットオーディション」に合格。99年に『太陽とシスコムーン』の一員としてデビュー。2000年に解散後は、ソロとして活動している。
取材・文/西尾英子 画像提供/小湊美和(つんく♂さん、太陽とシスコムーンメンバー、ハロプロメンバーの写真は小湊美和さんのSNSより引用)