北海道民なら誰もが知っている銘菓「ノースマン」。2022年10月、販売元の札幌千秋庵は、「ノースマン」をリブランディングし、業績をV字回復させました。新生「ノースマン」の立役者である中西社長に話を聞きました。

オリジナルの精神を現代的にアップデート

── 新生「ノースマン」が好調です。一新されたパッケージは大胆な配色とレトロポップなデザインで目を引きますね。

 

中西さん:「ノースマン」は、「北の大地に生きる人々のたくましさ」をコンセプトに、昭和49年に発売されました。オリジナルロゴは「北海道デザイン界の父」と呼ばれる、栗谷川健一さんによるものです。今見てもまったく古さはなく、コンセプトを象徴する唯一無二の存在感。このロゴをいかすことで、発売当初の精神を継承しつつ、現代の消費者に訴求したいと考えました。

 

北国らしさを感じていただきたいとの思いから、東西南北の方位を抽象化した十字の方位マークと、北海道旗に使われている七光星を取り入れ、全体をノルディック柄のようにデザインしました。

 

栗谷川先生へのリスペクトを込めて、デザインの随所に栗谷川先生のデザインをオマージュしています。生ノースマンのパッケージの配色に関しては、かつて栗谷川さんが手がけた札幌オリンピックの各種ポスターを参考に、白、青、赤を基調としたものにしました。

 

オリジナルデザインをアップデートした現在のパッケージ

──「ノースマン」は、パイの薄皮でこしあんを包み、しっとりと焼き上げたお菓子です。その「ノースマン」に生クリームをたっぷりと加えた新商品「生ノースマン」は完売が続くほど大人気ですね。

 

中西さん:これまで「ノースマン」の購買層の中心は60代以上の方々でしたが、若い年齢層の方々にも支持していただけるように、生クリームを加えて味わいをリッチに進化させることにしました。

 

「北海道らしい」「和洋折衷のお菓子を得意とする札幌千秋庵らしい」といった点も生クリーム採用の決め手になりました。

 

── こだわった点はありますか。

 

中西さん:ノースマンの生命線であるパイ生地にこだわりました。生クリームを入れることでクリームの水分がパイ生地に移行してしまい、ノースマン特有のパイ生地食感が損なわれてしまうという課題がありました。

 

強力粉の配合を増やすことで生地の耐性が強くなり、生クリームを入れてもパイ生地食感を維持できることが分かったのですが、長年変わることがなかったパイ生地の配合を変えて良いのか、という議論がありました。最終的には「伝統」よりも「美味しさ」を優先し、道産の小麦粉を配合することに行き着きました。

 

こだわりのパイ生地に生クリームを入れた「生ノースマン」

初の創業者一族以外の社長に36歳で就任

── 中西さんは、札幌千秋庵に副社長として入社し、36歳で社長に就任しました。創業家の出身者以外の社長は中西さんが初めてです。経緯を教えてください。

 

中西さん:業績が悪化していた札幌千秋庵は、道内の菓子製造販売「きのとやグループ(現:北海道コンフェクトグループ)」と業務提携し、再起をはかろうとしていました。

 

そのタイミングで、高校の同級生であり、グループの代表である長沼真太郎さんに誘われたのです。

 

実は、私は以前にも長沼さんが立ち上げた「BAKE」というお菓子のスタートアップ企業で一緒に働いていたことがあったんです。そのため、私が入社することで、業務提携を円滑に進めることに貢献できるのではないかと考えました。

 

── 入社の直前期は、かなり厳しい業績だったと聞きました。これまでの経験がいきるとはいえ、入社に迷いはなかったですか。

 

中西さん:私は北海道で生まれ育ち、この地に思い入れがあります。札幌千秋庵のお菓子は小さい頃から馴染みがありましたし、当時流れていた札幌千秋庵のTVCMもよく見ていました。

 

そんな札幌千秋庵が苦境に立たされている話を聞き、北海道で百年続いた老舗がこの先も存続していくことに私の経験がいかせるのであれば、と迷いはありませんでした。

 

── 社員からの反発などはなかったですか。

 

中西さん:反発というより「これからどうなっていくのだろう?」という不安が大きかったのではないかと思います。そのため、まずは全社説明会を開いて、会社の経営状況、きのとやグループと業務提携する意味、そして会社の立て直しに何が必要かを説明するところからスタートしました。同時に社員面談も行いながら、こちらからコミュニケーションを積極的にはかっていきました。

「生ノースマン」求め200人以上の大行列が

── 札幌千秋庵の再起をかけて発売された「生ノースマン」。買える場所は限られていますね。

 

中西さん:生ノースマンは生産能力の制限もあり、現在はノースマン大丸札幌店と新千歳空港の直営店と土産店のみで販売しています。「北海道でしか買えない」という価値を大事にしたいと考えており、ありがたいことに引き合いはあるのですが、道外の物産展や北海道のアンテナショップでは販売していません。

 

ふるさと納税の返礼品としての提供は、地元札幌市への恩返しとして行っています。

 

── 大丸札幌店では、「生ノースマン」を求めて、北海道では珍しい行列ができたとか。

 

中西さん:発売当初は想定以上の反響があり、200人を超える列ができてしまいました。お客様や大丸さんにもご迷惑をおかけしてしまい、一時期は整理券を配布する運用に切り替えて販売を行っていました。

 

発売初日の朝はTV露出もなかったので、「初日はあまり売れないかな」と思っていたのですが、多くのお客様が生ノースマンを求めて店舗にお越しになってくださいました。その光景を見て、お客様から「待ってたよ!」と言われているような気持ちになったことを今でも鮮明に覚えています。

 

ノースマンのリブランディングを機に業績は順調に回復し、今期の売上は15億円を見込んでいます。

 

ブランドの世界観を伝えるノースマン大丸札幌店

── 業績が低迷していたころの2倍、まさにV字回復を遂げたのですね。今後は、どのような展開を考えていますか。

 

中西さん:新しい商品開発を進めつつ、過去の商品のアップデートにも取り組んでいきたいと考えています。

 

札幌千秋庵の創業者である岡部式二は腕のいい菓子職人でした。そして、二代目の岡部卓司はたいへんなアイデアマンだったと聞きます。ヨーロッパ文化を愛し、職人を毎年オーストリアに派遣して洋菓子の技術を学ばせ、それを商品開発に反映することで札幌千秋庵を盛り立てていました。この初代と二代目の二人三脚から多くの優れた商品が誕生しました。「ノースマン」もそんな商品のひとつです。

 

過去の商品にいいものはたくさんありますし、商品だけでなく観光型の工場やレストラン部門など、当時としては先進的な取り組みもしています。そうした先人たちの財産を引き継ぎつつ、現代の方々の感度に合わせてアップデートした商品を生み出し、北海道をもっと元気にしていきたいですね。

 

PROFILE 中西克彦さん

1986年生まれ。2010年に北海道大学経済学部を卒業後、住友商事株式会社に入社。15年にお菓子のスタートアップ企業である株式会社BAKEに入社。大手企業での経験を活かし、同社のガバナンス体制の構築に尽力する。19年に株式会社ノベルズに入社し、同社の飲食事業の立ち上げに従事。21年に千秋庵製菓株式会社に入社、22年に社長に就任、現在に至る。

 

取材・文/鷺島鈴香 画像提供/千秋庵製菓