チャレンジ精神を忘れず、「やりたい」という気持ちに忠実に人生を選んできた木下紫乃さん。2016年、麻布十番で始めた間借りでのスナック営業は、今ではさまざまな世代や業種を超えた交流の場として活用されています。7年間の営業を通して、木下さんが得た気づきと、今後の「スナックひきだし」の存在意義について伺いました。(全3回中の3回)

コロナ禍に、赤坂に自分の店をオープン

── 2020年には、赤坂にご自身の店をオープンさせたそうですね。コロナ真っただ中に店を構えた経緯について教えてください。

 

木下さん:きっかけは、不動産の仕事をしているお客さんからの「自分のお店を持たないの?」というひと言でした。当時の私は、自分の店を持つなんて考えもしなかったのですが、「今コロナ禍で、いろんな物件に空きが出ているよ」という情報を耳にして興味を持ち始めました。

 

当時、コロナ禍の外出自粛で、年配の方の客足が途絶え、お店を手放す人が増加。それが影響して、銀座や赤坂などのスナック激戦区に空き店舗が多く出ていたそうです。予算を伝えたところ、現在の物件を紹介してもらい、「駅からも近く使い勝手も良さそう」と直感。「とりあえず、事務所代わりに借りてみよう」と、一等地に自分の店を持つことが叶ったんです。

 

赤坂の一等地に自身のお店をオープン
赤坂の一等地に自身のお店をオープン

── 現在は、紫乃ママ以外のママさんも在籍し、日替わりでカウンターに立っているようですね。

 

木下さん:以前からスナックに来てくれるお客さんの中には、「私もスナックのママをやってみたい!」という方も多かったんです。そこで、赤坂に物件を借りることが決まった時、「使いたい人がいたら貸しますよ」と連絡したところ、徐々にメンバーが集まっていきました。「ママをやりたい」と手を挙げてくれる人に共通しているのは、「人と会うことが好き」ということ。現在は、約25人のママが「不定期」や「週1回」「月1回」など、本業のかたわら「スナックのママ」を楽しんでいます。

 

── 他のママさんにとっても、「スナックひきだし」が日常の息抜きになっているのですね。

 

木下さん:そうですね。「スナックのママ」を本業にするのは難しくても、イベント感覚で月に1回程度接客するというのは気軽で楽しく、会社員生活の彩りになっているのかもしれません。集う場所があると人も呼びやすいですしね。

 

お店のカウンターでお酒を作る紫乃ママ
お店のカウンターでお酒を作る紫乃ママ

「人って話すだけで楽になる生き物」悩み相談にも“紫乃ママ流”

── お客さんは「スナックひきだし」に何を求めて来店されているのでしょうか。

 

木下さん:さまざまですが、一番は「おしゃべりがしたい」という方が多いと思います。うちではカラオケを置いていないので、なおさら「話す」以外やることがないのかもしれません。なかには「友だちがいなくて寂しい」とか「コロナ禍の外出自粛で3日誰とも話していない」といって来店される人もいます。でもここに来れば、誰かしらとおしゃべりができるし、共通の趣味や話題を持っている人と出会うこともできる。もちろん話すばかりでなく、聞くことを楽しみに来る人もいます。一期一会の出会いは、スナックならでは。行き当たりばったり感はありますが、それこそがここでしかできない楽しみ方のように感じています。

 

── 悩みを相談しにくる方も多いのではないでしょうか。

 

木下さん:時には深刻な悩みを吐き出しに来られる方もいます。そんなときは「悩みを俯瞰する」ように対応しています。一度、「悩み」という名の“荷物”を置いてもらって、そこにいるみんなで眺めてみるんです。「ここ、こじれているね」とか「重たい荷物だね」なんて言いながら。そうすると、帰るときにはその荷物が、ほんの少しだけ小さくなっているんです。人って話すだけで楽になる生き物なんだなとしみじみ感じています。

 

一期一会を楽しむ人々で賑わう
一期一会を楽しむ人々で賑わう

──「スナック」は思っていることを気軽に話しやすいのかもしれませんね。

 

木下さん:スナックは、「本音が出しやすい場所」だと思います。肩ひじ張らなくて良いし、少しふざけても誰にも文句を言われないからこそ、自然体の自分でいられるのでしょうね。今の時代、こういう場所にみんな飢えているのかもしれません。

 

でも、人の悩みを解決に導くって難しいことです。私は人の人生に責任は負えませんが、話を聞くことはできます。「大変だったね、頑張ったね」と言ってあげることで、気持ちが少しでも軽くなってくれたらいいなと思っています。

スナック経営から気づいた「私の好きなこと」

── 現在は「福祉」についての勉強をされているそうですね。何かきっかけはあったのでしょうか。

 

木下さん:スナックでさまざまな人と出会うなかで、「もう少し福祉の世界とつながったほうがいいな」と考えるようになりました。今、ソーシャルワーカーの資格を取るために勉強中です。昨年は、大学の1年半の通信過程を修了しました。

 

とはいえ、「この先絶対、福祉の仕事がしたい」というわけではなく、「知識を持っていたい」という感じ。福祉って、私たちの延長線上にある存在だと思っています。家族の介護や看護だけでなく、病気になったり年を取れば自分も福祉のお世話になるはずです。いざ直面したとき、「福祉については専門の人がやること」と他人ごととして捉えるのは違うのかなと考えています。いつかは福祉の領域に触れるからこそ、仕組みを理解しておきたいと考えています。

 

店内のディスプレイのひとつ「ひきだし」
店内のディスプレイのひとつ「ひきだし」

── 人との出会いが、知らない業界への探究心に導いてくれたのですね。

 

木下さん:人に会うということは、情報に出会うということ。新しい領域の人に会うと新しい情報が入ってきて、知らない世界に興味が湧くんです。そして、その世界を探求したいと感じる。私だけでなく、お客さんも「異なる趣味や業種の人たちと話したい」と言って来店する人が少なくありません。

 

だからこそ、スナックって意味があると思うんです。隣に座る人は選べないから、普段話さないような人と会える可能性が高いんです。例えば、俳優さんと大企業の社員が隣同士になったとき、まったく話が全然噛み合わないってこともありました。でも互いにとっては良い経験になるはずです。その会話の中で「こんな考えもあるのか」「その手があったか」みたいな気づきのきっかけになったらなと思っています。

 

今後も「もっとみんな肩の力を抜いて生きようよ」ということを呼びかけつつ、人や業界を繋いでいきたいと思っています。

 

PROFILE 木下紫乃さん

1991年にリクルートに入社後、数回の転職を経て、企業研修設計と人材育成を手掛ける企業に入社。約10年間勤務し、大学院入学を経て、2016年に株式会社ヒキダシを設立。40、50代の働き方や生き方を支援する活動の一環として、2017年に「スナックひきだし」を開店。週に一回、昼営業で「紫乃ママ」を勤める。著書に『昼スナックママが教える「やりたくないこと」をやめる勇気』(日経BP)。

取材・文/佐藤有香 画像提供/木下紫乃