新卒としてアナウンサー職で入社。華々しく世間から注目されるなか、実際はどうなのか。青森の放送局でアナウンサーを務めた樋田かおりさんに聞きました。(全3回中の1回)
高3の放送コンテストでアナウンサーになろうと決意
フリーアナウンサーとして活躍する一方、広報サポートやコミュニケーション研修などを開催する株式会社トークナビを経営する樋田かおりさん。元々はRAB青森放送局のアナウンサーでしたが、フリーへの転身などを経て、現在は東京を拠点に活動しています。
「幼いころは人前で話すことが苦手でおとなしい子どもでした。そんな人見知りの性格を克服しようと思い、高校では放送部に入りました。通っていた高校は『不撓不屈』が校訓で、部活動がとても盛んな学校。インターハイやオリンピックを目指す友人が周りにはたくさんいて、『私も何かのナンバー1になりたい』と思って選んだのが、放送部でした」
1年生のとき、岐阜県高校放送コンテスト新人大会の朗読部門で入選したことをきっかけに、人前で話すおもしろさに気づき、少しずつ自信を持てるように。3年生ではNHK杯全国高校放送コンテスト岐阜県大会のアナウンス部門で優勝して、本格的にアナウンサーを目指そうと決めたといいます。
大学生になると、アルバイトでイベントの司会を務め、大学2年生からはアナウンサーの養成スクールに通い始めました。
「いまもですが、アナウンサーの就活は本当に厳しくて。首都圏の放送局はもちろん、全国各地の放送局にもエントリーしました。当時は、大学2年生から就活がスタートするようなものだったので、4年生の夏休みにRAB青森放送から内定の連絡がきたときは、喜びとともに安堵感も大きかったですね」
晴れてRAB青森放送局にアナウンサーとして入社した樋田さんでしたが、入社早々、思ってもいなかった壁にぶつかりました。
「RAB青森放送は日本テレビ系列なので東京で新人研修を受けてから、青森での仕事が本格的に始まりました。これから頑張っていくぞという初めての打ち合わせで、頭が一瞬真っ白に。スタッフの方たちが何を話しているのか、全然わからなかったからです」
「津軽弁に苦戦」働くうちに青森が好きになって
それまで、聞いたことも話したこともなかった津軽弁の洗礼を受けたのです。
「津軽弁はとても複雑で独特な方言で、『け』という言葉には、『ちょうだい』『食べて』など、12の意味を持っています。みんなが話す言葉が聞き取れないし、理解もできませんでした」
入社早々つまずきましたが、英単語を覚える要領で言葉や意味を覚えていったそう。ようやく壁を克服したと思った矢先に待ち構えていたのが、アナウンスするだけではない業務範囲の広さでした。
「地方局のアナウンサーの仕事は、番組内で放送する企画を考えることから始まります。ディレクターや制作局長に企画書を提案し、採用されたら取材先にアポイントを取り、カメラマンと撮影に行き、その後で放送用の原稿を作ります。人によっては、テロップを入れるなどの動画編集を行うこともあります」
仕事量は多いけれど、全工程に携わるため、日々やりがいを感じていた樋田さん。ラジオ番組を担当するようになると、新しい面白さも発見しました。
「入社した翌年から『サタデー夢ラジオ』という番組のアシスタントに就任しました。歴史ある番組だったのもありますが、たくさんのリスナーが仕事のかたわらに聞いてくださっていて、その日の番組内で話した話題に対しての感想や意見がすぐに届くんです。別々の場所にいて顔を合わせなくても、ラジオでつながっていると思うと、嬉しいようなくすぐったいような不思議な感覚でした」
プライベートで街を歩いているときに、声をかけられることも当たり前でした。
「みなさん『樋田ちゃん!』って、気軽に話しかけてきてくださいました。家族や親せきのような温かい距離感で接してくださり、自然と青森の人たちが大好きになりました」
求められる仕事の現実を受けて葛藤も
アナウンサーとして充実した日々を送る一方、樋田さんは仕事に対する葛藤が徐々に芽生えていったといいます。
「学生時代に目指していたのはマルチアナウンサーでした。朝の爽やかなニュースや夜の落ち着いたニュース、はたまた現場レポートなど、ひとりで何役もこなせるアナウンサーになりたかったんです。
でも、実際には子ども向け番組のお姉さんのような立ち位置の仕事ばかりでした。週末には、ベレー帽をかぶってスティックを持ち、RAB青森放送のイメージキャラクター『らぶりん』と一緒にイベント出演することも多かったですし、一緒にCDデビューもしました。
番組内でも『キャラクターのお姉さん』のような扱いになることが多く、目指していたマルチアナウンサーが遠く感じました。そんななか、報道への気持ちがますます強くなっていきました。
恵まれた環境にいると理解していましたが、報道番組をやりたい気持ち、まだ見ぬ新しい世界や人々と出会いたい気持ちが抑えきれなくなり、2011年3月での退職を決めました」
退社準備をしていたころに起こったのが、東日本大震災です。入社した年に防災士の資格を取得し、各番組で防災関連のコーナーを担当していたこともあり、奇しくも報道キャスターを務めることに。
「震災の慌ただしさが残るなかでの退職だったので、見送ってくれたスタッフには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。でも、ようやく念願だった報道キャスターを務められたことで、新境地へ旅立つ気持ちが固まりました」
PROFILE 樋田かおりさん
岐阜県出身。2008年、日本テレビ系列のRAB青森放送にアナウンサーとして入社。報道番組のキャスター、ラジオパーソナリティなど、テレビ・ラジオの放送現場を経験。フリーアナウンサーに転身後、28歳で株式会社トークナビを設立。スピーチトレーニングや中小企業の広報サポートなどの伝える事業を展開している。
取材・文/安倍川モチ子 画像提供/株式会社トークナビ