芸大大学院在籍時に結婚した中畝治子さんと常雄さんご夫婦。支え合いながら、重症心身障害児の長男・祥太君と下の子ふたりの子育てをしてきました。2002年に祥太君が亡くなったあとの治子さんの仕事観とは?(全2回中の2回)
劣等感で萎縮してしまう社会は変える必要がある
── 祥太君が17歳で亡くなった1年後、治子さんは50歳で小学校の図工講師になりました。
治子さん:祥太との時間がなければ、きっと私も「上手に描けるための指導」を目指していたと思います。でも、「何もできない」息子から、発達したり、上達したり何かができるようになることだけが大切なのではないと考えるようになりました。お互いの表現を対等に認め合う、そんなアートを子どもたちとしたかったんです。
── アートも「上手・下手」の優劣の評価対象で、幼いころは楽しめていたアートを止めてしまう人も多いと思います。
治子さん:そういう教育を受けてきた大人は、「上手・下手」の価値観しか持っていません。それを子どもに押しつけてしまうから、劣等感を持ってしまうんですよね。「表現=評価」になってしまって、表現することに萎縮してしまう。
アートの本来のよさは、みんなが素直に自分を表現できることです。そして、そのみんな違う表現を認め合えることが一番大切だと思います。
「上手」しか評価されない社会では、劣等感を抱える人が増えるのは、仕方のないことだと思います。
── それは、アートに限らず普段の生活でも感じることです。
常雄さん:「上手」でないと、社会に受け入れられないという感情は、小さなときから持たされている気がします。
たとえば、地域の集まりでも「私は何もできないけれど仲間に入れてもらえるんだろうか」と心配する人がいます。
私たちは、祥太がいるだけで、私たち家族だけでなく、周りの人が変わっていく様子を見てきました。人は存在するだけで意味があるんです。「何かに秀でないと受け入れられない」と感じてしまう社会は、変える必要があると思います。
「ただいるだけでいい」と自分も子どもも認めるためには
── 小さなときから他者との競争にさらされて育った私たちは、どうすれば「ただいるだけでいい」と自分を受け入れ、そして子どもに伝えられる親になれるのでしょうか。
常雄さん:私たち夫婦は、昇り続けることを求められる社会から降りる生き方を選択しました。祥太が生まれたことで降りざるを得なかったんですが、結果的にとても豊かな人生になったと思っています。
治子さん:「将来社会に貢献できない子どもを育てる意味はあるのか」。私も祥太が生まれたころは、そう考える人間でした。でも、祥太が亡くなる前には「どんな姿になっても生き続けてほしい」と心底思えるようになりました。
優劣で人を見るのではなく、お互いの存在を対等に認め合う。そうすることで、「勝たなければ」「何かを為さなければ」とガチガチに固まった自分自身の心もほぐすことができると思うんです。
── 自分自身が何を大切にしたいかを考え、子どもとも向き合いたいですね。
治子さん:そのためには、子どもと過ごす時間も大切だと思います。文句を言いながらも、子どもと過ごす時間があってこそ、その子を理解できるし、子どもも親を理解できる。お互いを理解することにつながると思うんです。
最近は「働くこと」に重きが置かれすぎだと思います。私も、女性が働くことの大切さや働けない悔しさ、仕事で得られる喜びを知っているので、応援したい気持ちももちろんあります。でも、そのバランスが極端になりすぎていることを危惧しています。「生きる」ってそういうことではないですよね。
働くことと大切な人たちと過ごす時間の、両方が充実した暮らし方を選ばないといけない。そして、そうできる社会を目指して、私たちはもっと主張していかなければならないと思います。
医療的ケア児のお母さんの心をほぐしていきたい
── 治子さんは、5年前から、人工呼吸器や胃ろうなどの医療的なケアが必要な医療的ケア児をサポートするNPOの代表を務められています。どのような思いで引き受けられたのでしょうか。
治子さん:医療的ケアについては、2021年に支援法もできて、認知度は上がってきています。でも、課題はまだまだ山積みです。例えば、医療の発達によって、祥太のころなら早く亡くなっていた重度の障害児の寿命が延び、大人になった彼らを診られるお医者さんが少なくて大きな問題になっているんです。
医療的ケア児のことや家族のことをもっと知ってもらうことが、私の役割だと思っています。
親御さんたちの「障害児を育てる葛藤」も、私の子育て時代とあまり変わっていないように思います。「将来働けないだろうこの子を、税金を使って世話してもらって申し訳ない」と話すお母さんもいます。自分の経験から「絶対にそんなことはない」と心をほぐしていきたいです。
── 親の心がほぐれることは、子どもにとっても大切なことです。
治子さん:それは、障害児だけでなく、そのきょうだいにとっても同じです。健常のきょうだいたちも、親に向き合ってほしい子どもであることは同じです。実は最近、下の子たちが「子ども時代、寂しかった」と話してくれたんです。
少しでも、余裕をもって子どもたちに向き合えるお手伝いをできたらと思っています。
── 障害児の親たちが子育てしやすい社会は、健常者の子育てもしやすい、そしてみんなが生きやすい社会につながるのではないでしょうか。
治子さん:祥太の養護学校時代に、外部の方を学校に呼んでコンサートを開いていました。出演者の多くが、障害の重い子やその家族に会ったのが初めての方たちです。「こんなに障害の重い子は何もわからないだろう」「親も苦労しかないだろう」と思っていたのが、子どもたちと親がコンサートを楽しんでいる姿に触れたことで、それまでの価値観が大きく揺さぶられたとおっしゃってくださいました。
まだまだ「障害者」と「健常者」の線が引かれた社会です。でも、一人ひとりが触れ合う機会を増やすことで、お互いに「生きているだけでいい」と対等に認め合う気持ちが言語化しなくても広がっていくと思うんです。
彼らと彼らの家族が堂々と社会に出ていけば変えられるものが必ずある、私はそう信じています。
PROFILE 中畝治子さん・常雄さん
東京藝術大学日本画科で同級生となる。1976年、同大学院修了。大学院在籍時に学生結婚。1984年に生まれた重症心身障害児の長男・祥太君と2人のきょうだいを育てながら、東寺両界曼荼羅、松島瑞巌寺障壁画復元事業にも参加。治子さんは、小学校図工講師、保育系大学や短期大学で教鞭をとる。現在は、横浜市にある医療的ケア児の看護や介護を行うNPO法人「レスパイト・ケアサービス萌」の代表理事を務める。
取材・文/桐田さえ 画像提供/中畝治子・常雄