約5年間、ブラジルやアルゼンチンで過ごした竹内香苗さん。現地の人との温かい交流があるなかで、命拾いするようなできごとにも遭遇します。海外生活の現実を伝えてくれました。(全4回中の2回)
夫の海外赴任でブラジルへ「仕事の情熱も高まって」
── 2012年に、夫のブラジル赴任に同行するため、TBSを退社し、フリーランスに転身されました。当時、TBSの局アナを辞めることに、後ろ髪ひかれる思いもあったそうですね。
竹内さん:TBSには、約12年間在籍したのですが、本当に周りの方に恵まれた局アナ生活でした。それだけに、一緒に番組をつくっていた皆さんやアナウンス部の人たちと離れるのが寂しいという思いが当初は強くありました。
でも、フリーランスという形であれば、大好きなアナウンサーという仕事を継続できるし、そこで頑張り続けていれば、きっとまた皆さんと一緒に仕事ができる日が来るのではないか、それを目標に頑張ろうというモチベーションに変わっていきました。
── ブラジルでは、フリーアナウンサーとして、現地の様子や文化などのリポートをされていました。
竹内さん:ラジオの現地リポートや執筆の仕事がメインでした。月に1回、NHKラジオ深夜便のコーナーを担当していたのですが、テーマや内容を自分で考えて台本も書き、とてもやりがいがありました。
ほかにも、現地の日本人向けの新聞でWebコラムを書いたり、ブラジルでワールドカップが開催されたときには、東京スポーツでコラムの連載も。安倍元総理が訪問されたときは、現地の様子や盛り上がりを伝えるなど、楽しく仕事をしていました。
── 感じたことを自分の言葉で伝えることができるのは、やりがいがありますね。
竹内さん:リポートをするたびに「もっともっとやりたい!」と、仕事への意欲と情熱が高まっていきましたし、現地での取材を進めるなかで、いろんな発見や気づきが生まれ、その国を知ることにもつながりました。その後、アルゼンチンに滞在していたときに、伊集院さんのお昼の新番組が始まったのですが、「また絶対ご一緒させていただけるように頑張ろう!」という思いがより強くなりました。
治安が悪く「外を歩くときは警戒する」日々でした
── もともと帰国子女であり、海外生活にはなじみのある竹内さんでも、当初はホームシックに陥ってしまったとか。
竹内さん:小学5年生から中学3年生まで住んでいたのは、アメリカのオハイオ州だったので、ブラジルのサンパウロとは文化も環境もまったく違い、当初はかなりとまどいました。日本とは、ほぼ地球の反対側でかなり距離があるので、帰国するのも一日半ぐらいかかり、簡単には帰れません。
それまで毎日会社に行ってみんなと顔を合わせるような生活から一転し、異国の地で話し相手もいない。夫は仕事で忙しく、子どもが生まれるまでは、寂しさや虚しさを感じホームシックにもなりました。
── そうだったのですね。ただ、それまで多忙な日々を過ごしていらしたので、ゆっくりと羽を伸ばして…とも思ってしまいますが。
竹内さん:当時のブラジルは、治安が悪く、夜はもちろん日中でもスリや強盗に気をつけながら過ごさないといけない状態だったんです。日本のように携帯を見ながら歩いていたらあっという間に取られてしまうので、外出するときはバッグを脇にしっかり抱え、周囲を警戒しながらササっと行動しないといけませんでした。
── 都市でもそんな物々しい雰囲気だったのですね。
竹内さん:むしろ都市のほうが危なかったですね。車も防弾仕様でした。ブラジルに渡った1か月後に、サンパウロの中華料理店で強盗団に拳銃をつきつけられたこともありました。夫が勤務する会社から、強盗に遭遇したときの対処法を聞いていたので、抵抗せずに現金を渡し、なんとか事なきを得ました。
── そんなことがあったとは…。強盗団に遭遇するのは、日本ではまずない状況ですよね。
竹内さん:もしも抵抗していたら…と思うと怖いですよね。ホームシックの理由として、言葉の壁も大きかったです。現地の言葉がポルトガル語で、街中では英語がほとんど通じなかったので、コミュニケーションもままなりません。
しかも、鉄道もお店も時間通りではなく、日本と比べると当時はインフラがあまり成熟していなかったので、停電や断水も日常茶飯事。すべてにおいて環境の変化が大きく、最初は適応するのに少し苦労しました。
ですが、徐々に現地の方とも知り合う機会が増え、コミュニケーションが取れるようになると、皆さん本当に気さくで親切。そこからは、次第にブラジル生活も楽しくなっていきました。リオのカーニバルやワールドカップの試合を見に行ったり、各地の催しを訪れて、食を堪能したりと、2年間ブラジルを満喫しました。日本人同士のコミュニティにも支えられました。
── 海外だと、日本人駐在員の奥さん同士の交流も盛んですよね。
竹内さん:私たちが外国人ということもあり現地の環境が厳しい部分もあったので、「みんなで助け合おう!」と、いろんな情報を教えてもらったり、子どものお古を回しあったり、おかずを作って届けたり。助け合いの精神にあふれていて、まるで家族のような温かい交流をさせていただき、すごくいい思い出です。
南米生活での出産に「人のありがたみも知った」
── 2014年には、ブラジルで第一子を出産されています。現地での出産は、いかがでしたか?
竹内さん:日本の場合、至れり尽くせりで、すべてにおいて丁寧ですが、現地では、こちらから積極的に聞かないと情報も得られないですし、出産から退院までの期間もかなり早く、産後の食事もこってりとしたものが多かったです。
向こうでは麻酔で痛みをやわらげる出産方法がかなり普及していました。陣痛が来るまで待ち、本格的にお産が始まったら麻酔を入れて痛みをやわらげるといった感じでした。いろいろな違いにとまどいはありましたが、出産自体はかなりスムーズでしたし、産後は、ブラジルの子育て環境にずいぶん救われました。
── たとえば、どういったところでしょうか?
竹内さん:ブラジルは子どもに対して社会がすごく寛容で、子育てしやすい土壌があります。たとえば、ベビーカーを押していて、ちょっとした段差で苦戦していると、どこからともなく人が集まってきて、すぐに助けてくれるんです。
日本にいるとどうしても、子どもがいると肩身が狭かったり、「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と気をつかいますが、ブラジルではそうした気持ちになることは少なく、大らかでした。社会全体で子どもを見守る空気感があり、子連れにとにかく優しいんです。
── 社会全体が子どもを歓迎していることを肌で感じられるのは、心強いですね。子どもにも大らかでいられるし、「子育ての孤独」に陥ることも少ない気がします。
竹内さん:そう思います。スーパーの店員さんから道行く人まで、子どもに対する眼差しや言葉が温かいし、どこへ行っても可愛がってもらえるので、子育てが楽しかったです。
自分も他人に対して寛容でありたいし、困った人がいたら手を差し伸べたいという気持ちが自然と湧いてきました。
── その後、夫の赴任に伴い、アルゼンチンのブエノスアイレスに滞在し、2人目を出産されました。同じ中南米でも、雰囲気は違うものですか?
竹内さん:アルゼンチンは雰囲気も人も、ヨーロッパに近い感じでした。もちろん人によりますが明るく陽気で人懐っこいブラジルの人たちに比べると、仲良くなるまでに少し距離があるように感じたものの、いったん打ち解けると、すごく親切で温かかったです。
ブラジルとアルゼンチンという、人も文化もまったく違う国で暮らした経験により、「国が違うと人も価値観も違う」多様性を、まさに肌で実感できたことは大きな学びになりました。
PROFILE 竹内香苗さん
1978年、愛知県生まれ。東京外国語大学卒業。2001年にTBS入社後、テレビでは「王様のブランチ」「サンデージャポン」「みのもんたの朝ズバッ!」「はなまるマーケット」、ラジオでは「伊集院光 日曜日の秘密基地」など、様々なジャンルを担当。2012年にTBSを退社後、ブラジル、アルゼンチンを経て帰国。現在、ホリプロに所属し、フリーアナウンサーとして活躍中。テレビ東京「週刊ビジネス新書」レギュラー出演中。
取材・文/西尾英子 画像提供/ホリプロ