5歳のわが子がいじめにあっている。必死にわが子を守ろうとする夫に対して、妻が発した言葉に夫はうろたえます。夫婦にたゆたう気持ちの振り幅。妻の幼少期の行いを知った夫は…。
子ども同士のいじめは解決したけれど…
「うちの子が、どうも保育園でからかわれているとわかったのは1年ほど前のことです。保育園側とも話し合い、加害者の女の子とその親とも会いました。5歳の子のことですから、いじめの概念がないのはわかってる。でも現実にうちの子は傷ついている。それが問題なんですよね」
保育園での「いじめ」について、ケイスケさん(42歳=仮名、以下同)はそう言います。彼には3歳年下の妻との間に5歳になる息子がいます。結局、話し合いを重ね、子どもの言い分も聞き、何がいけないのか相手の子にも言い聞かせて、問題は長い時間をかけて落ち着いていきました。
「この春から息子と相手の子は別のクラスになり、一緒に行動することもなくなりましたが、先日、保育園に行ってみたら、ふたりが仲良く話していました。ようやくすべてが解決したんだなとホッとしました」
ケイスケさんはこの問題に、深く入り込んで積極的に園に働きかけてきました。一方的に謝られて表面的な解決をするのをよしとしませんでした。なぜなら、彼自身がいじめで苦しんだ経験があったからです。
「小学4年生から卒業するまで、クラスの女子にいじめられていました。何が理由かわからないけど、『変な顔してる』『嫌らしい、汚い』と言われて。毎日が地獄で。男子はふつうに接してくれたけど、女子に怒ってはくれなかった。怖い子がひとりいたんですよ。担任に話しても解決できなかった」
だからこそ、小さいころから「人権」について考えてほしかったのだそうです。言葉はわからなくても、「人を大事にする気持ち」は幼いころから育まなければいけないはず、と彼は保育園に訴えかけました。
妻がもらした言葉で「夫は過呼吸」になりそうに
ケイスケさんは、息子のいじめ問題に関わることで、自分の心がビクついていると気づいていました。それでも、あのころの自分を克服するようなつもりで取り組んでいたのです。
「妻に自分の話はしていません。ただ、この問題が解決したとき、妻が『あなたがあれほど頑張る必要があったのかしら』と言い出して。子どもにも人を尊重する気持ちを育んでほしいからと言ったら、妻が衝撃的なことを言ったんです」
私は子どものころ、いじめっ子だったんだけどね、と。ケイスケさんは思わず聞き返しました。
「うちの子も少しポワッとしているところがあるでしょ。子どものころって、ああいう子がうっとうしいの。だから私も小学生のとき、ぼんやりしている男子をいじめたことがある。“グズ、のろま”って言ったり、上履きを隠した程度だけどね、と。妻はそれを何の良心の呵責もなく、冗談のように言ったんです。僕にはショックでした」
過呼吸になりそうなほどだった、とケイスケさんは言います。妻は確かに気が強いタイプの女性ではあるけれど、人をいじめたことを得意げに語る人間とは思えなかったからです。
妻に真実を話すべきか、子どもに何を伝えるか
「程度の問題だという言い方もできるかもしれません。妻の言い方では、せいぜいからかった範疇かもしれない。でも、やられたほうはいまも覚えていますよ、絶対に。それを想像すらできない妻に衝撃を受けたし、どう受け止めたらいいかわからなかった」
それから数か月、いまもケイスケさんはときどき、妻の言動を細かく観察してしまうと言います。はっきりものを言うタイプですが、それが正直さからだと勘違いしていたのではないか、じつは妻の悪意から出ている発言ではないのか…と疑念を抱くこともあるそうです。
「いつか自分がいじめられて苦しかった話を妻にしたいと思ってはいます。妻がそれを聞いてどう思うか。知りたいような知りたくないような気もしますが。現実的には、妻のいいところを見て生活していこうとは思っています」
それでもときどき、胸が苦しくなることがあるそうです。彼にとって、いじめられていた記憶は、なお生々しく蘇ることがあります。ケイスケさんはまじめな表情で、次のように言いました。
「これからも子どもには、いじめるな、傍観者にもなるな、と教えていきたい」
文/亀山早苗 イラスト/前山三都里