「行ってきます」。小さい娘を家に置いて玄関を出る瞬間。そこで「ごめんね」の気持ちは添えてしまったら、自分にも娘も誠実じゃない。ママさんバレー選手として活躍した荒木絵理香さんが育児と仕事の日々を振り返ります。(全4回中の1回)

 

コート脇で応援してくれた娘さんと選手とはまた違った表情の荒木さん

「復帰したい」45歳で活躍するママ選手が刺激に

── 2013年に、結婚され、翌年出産。半年後に再びコートに戻られました。現役復帰を決めたタイミングは?

 

荒木さん:2012年のロンドンオリンピックが終わり、自分のなかで達成感がありました。この先、どうやって競技と向き合い続けていこうかと考えるなかで、子どもを授かることができました。昔から「長く競技を続けるにはどうしたらいいか」をずっと考えてきたので、産んでからも復帰するつもりで。

 

そもそも子どもは授かりものですし、今後、自分の思うタイミングで妊娠できるとは限りません。出産が遅くなると、今度は年齢的に選手として復帰が難しくなるかもしれない。私の場合は、タイミングとしてもうまくいき、かつ、家族の協力もあったので安心して出産を迎えることができました。

 

── 出産して復帰するバレーのトップ選手はほとんどいないなか、不安はありませんでしたか?

 

荒木さん:国内ではそうかもしれません。ただ、イタリアでプレーしていた時期(2008/2009シーズンにイタリアのベルガモでプレー)があったので、周りにママさんプレーヤーもいましたし、チームメイトが産後復帰して、活躍する姿に刺激を受けていました。

 

ヨーロッパチャンピオンズリーグのリーグ決勝戦では、対戦相手のセッターが45歳くらいの方で、高校生のお子さんがいて、しかも正セッターとして活躍していました。「こんな世界があるんだ、かっこいい!」と、衝撃でした。海外でのそうした経験から、子どもを産んでもプレーヤーとして第一線で活躍することは不可能ではない価値観を持つことができたのだと思います。

病気が発覚「突然死するかも」と医師から言われても…

── 産後はホルモンの関係もあり、体の変化も激しい時期です。調整はうまくいきましたか?

 

荒木さん:ずっと腰痛との戦いでしたね。ぎっくり腰を何度も経験しました。ただ、私の場合、産後ハイのような状態で不調を感じても、あまり気にしていなかったんです。

 

ところが、復帰して1年くらい経ったころ、代表選手としてメディカルチェックを受けたのですが、そのときに心臓に異常が見つかったんです。不整脈でした。

 

医師からは「突然死するかもしれない」と言われ、手術を受けることに。心臓カテーテルアブレーションといって、不整脈の原因となっている場所を焼灼する治療なのですが、鼠径(そけい)部と足のつけ根の2か所からカテーテルを挿入しました。

 

三つ編みをさせてくれる時間は子どもの成長を感じる貴重なひととき

── それは大変でしたね。産後は、そうした症状が出る方もいると聞きますが、よりによって、代表として呼ばれたタイミングとは…。

 

荒木さん:もちろん代表の話は流れ、数か月間、何もできない状態に陥りました。運動なんてもってのほか。医師からは、倒れてしまうリスクがあるから、ひとりでいるのもダメだと言われ、夫か母親につねにつき添ってもらう生活が3〜4か月ほど続きました。その間は、復帰のめどもたたず、「このままコートに戻れないんじゃないか」と落ち込みました。

 

でも、医師からは「いや、気にするのはそこじゃない。死ぬかもしれないんだよ?」と。手術後も、「もうさすがにバレーボールはいいでしょう?」とうながされましたが、私としては、「いや、復帰するつもりだし…」と、心の中で呟いていましたね。幸い経過も良好で、無事に復帰することができ、その後は、定期的に検査をしながら競技を続けられました。

 

── そもそも不整脈が発覚する前は、体に異変はあったのですか?

 

荒木さん:たしかに言われてみれば、しんどかったんですよね。めまいも酷かったし、体のしびれもありました。あとから周りには、「鈍感すぎる、ふつう気づくよね?」と言われましたが(笑)。私からすれば、「出産した体で競技に戻っているんだから、しんどいのは当たり前」ととらえていて、「もっと頑張らなきゃ!」と、自分にはっぱをかけていたんです。

 

でも、アスリートに限らず、出産したお母さんたちは、体調が優れなくても、産後のせいだと、そのまま頑張り続けてしまうケースって多いんじゃないかなと思います。しかも、実際に頑張らなきゃいけない場面も多いから、どうしても自分の健康があと回しになってしまうことを、身をもって感じました。

 

── 病気を乗り越えて、再び復帰。喜びもひとしおだったでしょうね。

 

荒木さん:バレーができるありがたさは身に染みましたし、「こうなったら、できるとこまで、とことんやりきりたい!」という気持ちが、より強くなりましたね。

「悲しい顔をして家を出ない」と決めた理由

── 代表選手として合宿などもあるなか、子育てとの両立でご苦労されたこともあったのでは?

 

荒木さん:娘からしたら、バレーはママを奪う悪役。合宿の日はカレンダーに×がつけられていたり、玄関に罠を仕掛けて、私を行かせまいと小さな抵抗をしたり。その姿を見ると、やっぱり心が苦しかったですし、後ろ髪をひかれる思いもありました。でも、娘の前では、悲しい顔をしないと決めていました。

 

──「ママ行かないで」と、すがられてしまったら、つい「ごめんね…」と言ってしまいそうです…。

 

荒木さん:これは自分勝手な考えかもしれませんが、「ごめんね」と言ってしまったら、娘は「ママは悪いことしてるのかな」と感じてしまうと思うんです。それに、働きに出るパパが「ごめんね」と言って仕事には行きませんよね?

 

娘には、ママが働くことやバレーボールそのものをマイナスに捉えてほしくないなと思って。出かけるときに、私が悲しそうにしていたら、「なんでそんな顔をしてまで行くの?」と思うだろうし、私自身もバレーが大好きでやりたくてやっているので、そうはしたくなかったんです。

 

でも、カレンダーに「ママが帰ってこない日」は×、「会える日」は〇を付けているのを見ると、やっぱり少し心苦しかったりします。ただ、ネガティブになってもしかたない。それよりも一緒にいる時間をいかに過ごすかを考えたほうがいいなと思っていました。

 

── たとえばどんなことを意識されていたのでしょう?

 

荒木さん:一緒にいるときは、できるだけ娘の目を見て、向き合って過ごすことを意識していました。ありがたいことに母が家事をサポートしてくれて、その間は公園で思いきり娘と遊ぶなど、ふれあう時間をとれました。家事をしながらだと、どうしても手を止めて向き合うことが難しいので、母にはとても感謝しています。

 

PROFILE 荒木絵里香さん

1983年生まれ、岡山県出身。高校卒業後の2003年に東レアローズに入団。東レに在籍中にイタリアベルガモに移籍。2012年のロンドンオリンピックの代表メンバーとして銅メダルを獲得。2013年に結婚し、翌年出産。半年後に上尾(現・埼玉上尾)で現役復帰。その後、トヨタ車体に移籍。2021年の東京オリンピックを最後に現役引退。2022年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科入学、23年修了。現在、トヨタ車体クインシーズチームコーディネイター、日本オリンピック委員会理事、ママアスリートネットワーク理事など多方面で活躍中。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/荒木絵里香