年を重ねると新しいことに億劫になったり、日常に安心したりします。ルー大柴さんは52歳のとき、「ちょっとムリ」から始めた茶道で師範にまで。その好奇心と挑戦につらなる声を聞きました(全4回中の4回)。
茶道を体験「向いていない…けどハマってしまった」
── 2007年、若い女性を中心に2度目のブレイクをしたルーさん。そのころから茶道を始めましたが、どうして?
ルーさん:マネージャーが「ルー大柴の今後を考えて、いままでと何か違うことをやったほうがいいんじゃないですか」と。男性芸能人でお茶を極めている人はいなかったので。
それで52歳のとき、茶道の稽古に体験で行ってみました。格式の高さなどにハードルを感じて「私にはちょっとムリだな」と思ったんです。でも「だから、ダメなんですよ」とまたマネージャーに言われそうなので、仕事の合間に稽古へ通いました。
そうしたらまさに「ストーンの上にもスリーイヤーズ」。3年くらいしたら少しずつ面白くなっちゃいました。イヤなら続かないから、何かしら自分でも求めてたんでしょうね。
── ルーさんが月4回通ったのは、遠州流茶道。江戸時代の大名・小堀遠州が確立した流派で、従来の「わび・さび」に美しさや明るさを加えた「綺麗(きれい)さび」を創りあげた流派。ルーさんと茶道、意外な組み合わせに思えますが、ふだんは“動”、お茶は“静”のルーさんなのでしょうか?
ルーさん:そうですね、“静”のイメージのお茶を学んで、ルー大柴としてグレードが高くなるんじゃないかな、と思いました。まず、ものの見方が変わりましたね。茶道から、おもてなしの心を伝えることを学びました。
そして、やはり人間関係ですね。茶道の席でお客さまと清らかな気持ちでお話ができるようになりました。
また、どんな場所・人に対しても物おじしなくなったのも大きいです。茶道の稽古には想像以上にしっかりした肩書の方や経験豊富な方がいて、最初はどうしようかと思いましたが、お茶をたてる所作を見ると認めてくれます。もちろん教えられることもたくさん。
7年かけて師範に「茶道は姿勢や気持ちが正される」
── ルーさんはお茶をたてながらどんなことを考えるのですか?
ルーさん:お茶をたてる所作を見ながら、お客さまは心を落ち着かせてお茶を飲みたいと思われるでしょう。こちらも姿勢を正しながら、おもてなしの気持ちでお茶を一服さしあげます。見られているということは、自分自身もきちんときれいにしておかなければいけない。
ただお茶をたてるだけではなく、良いものをお客さまにお出しすることに感動があるわけじゃないですか。所作の途中は黙っていますが、お茶を飲んだお客さまから「美味しゅうございます」とご挨拶をいただいたときは、「本当に良かった」と感じます。
── 習いはじめて7年後の2013年、師範になり、茶人名「大柴宗徹」を授けられました。日常にもお茶を取り入れられているそうですね。
ルーさん:家でちょっとお茶をたてたり、知り合いにもたてたり。最初はやっぱりドキドキしながらでしたが、きれいにお茶をたてられると心がスッキリしますよね。練習もしなきゃだし、緊張もするけど、こういうひとときってけっこう大事じゃないですか。
私が属しているのは武家の流派なので、男性がお茶をたてる姿は素敵、って女性から言われます(笑)。
── ルーさんは51歳で茶道をはじめましたが、新しいことにチャレンジする勇気はすばらしいですね。
ルーさん:チェンジマインドしてみたいって思っていたのでやれたのであって、もし自分にあわなかったら、とっくにやめてますよ。同じ時期に始めてやめた人もいますし、イヤイヤ続けられるものでもない。
なかなか覚えられなくて所作の本を読んで勉強したり努力もしましたけど、続ければ少しずつ面白くなってくるものです。
── 何ごとにも適した時機がありますね。ルーさんがもっと早く茶道に出合っていたらどうなっていたでしょう?
ルーさん:30代、40代なら茶道はやってないですね。だって自分が生きていかなきゃいけない。役者でもタレントでも食べていかないと。
── 最後に、ルーさんにとって「お茶」とは?
ルーさん:難しいなぁ…。ひとことで言うなら「心を整える」でしょうか。そばにあり、ふと我に返って心を整えてくれるものかな。
PROFILE ルー大柴さん
1954年、東京都生まれ。高校卒業後、欧米を放浪。日本語と英語をトゥギャザーした話術を使う独特のキャラクターで活躍、役者としても舞台を中心に活動。2007年NHKみんなのうたに採用された『MOTTAINAI』をきっかけに、富士山麓の清掃や地域のゴミ拾いなど環境活動にも積極的に取り組む。2013年に遠州流茶道師範に。
取材・文/岡本聡子 画像・写真提供/ルー大柴、株式会社Carino