過敏性腸症候群(IBS)の中でも特にガス(おなら)の症状に苦しんだというAさん(30代)。「におうかも」と悩み、人と同じ空間にいるのが怖いと思うようになっていったといいます。

 

過敏性腸症候群は、下痢や腹痛などの便通異常に伴う慢性的な痛みが6か月以上続くもの。大腸に腫瘍や炎症などの病気がないことが前提です。一方、おならだけの症状は「『機能性腹部膨満』とされます」と久里浜医療センターの水上健医師は指摘します。人によっては発症により精神的に追い込まれ、対人恐怖症やうつ病、強迫性障害などの症状に悩まされていることも。Aさんに、発症した高校時代から寛解した現在までを聞きました。

お腹がゴロゴロ鳴るとパニックに

Aさんに異変が現れたのは高校1年生の頃。授業中や休み時間に、お腹がガス(おなら)で張るようになったといいます。トイレへ行っても周りに音が聞こえるのが不安で我慢し、そのうち、腹痛や下痢などの症状に悩まされるようになりました。

 

病院の内科を受診し、過敏性腸症候群の診断を受け、整腸剤などを服用するようになったAさん。しかし、症状はなかなかよくならず、授業中の離席など、事前に教員へ相談して過ごしたそうです。

 

「お腹がゴロゴロ鳴り出すとパニックになって、冷や汗が出るようになりました。思春期で恥ずかしかったし、なるべく表情には出さないようにして、なんとか乗りきっていました」

 

大学へ進学すると症状は落ち着いたそう。講義中にトイレへ行っても誰も気にしない、クラスから離れた図書館のトイレをいつでも利用できるのがよかったといいます。

「なんか、おならくさい」上司の心ない発言

大学卒業後は放送関係の会社に入社。ほかの部署と連携しながら、テレビCMなどの制作に携わりました。

 

ある日、トイレへ行った帰り、別の部署のディレクターが彼の部下に「なんか、おならくさい」と大声で話しているのに気がつきました。

 

「部署は違うけれど、そのディレクターとは、ときどき一緒に仕事をする機会があった」というAさん。以降、ディレクターの近くを通るたびに、執拗に「におう」「くさい」と言われたそう。

 

「彼の部下との間でネタのようになっていて、ほかのスタッフも合わせて笑っていたようです」

 

Aさんは、おならが漏れているのではないかと悩み、ネットで検索。「過敏性腸症候群」「ガス型」で、おならのにおいが漏れる症状に悩む人たちがいることを知りました。「自分も同じ症状かもしれない」。不安を感じる日々に、高校生の頃と同じようなお腹の違和感が増えていったそう。

「自分が悪いんだ」食事を抜いて10キロ痩せた

当時、Aさんは、他部署とはいえ上司に当たるディレクターが嘘を言うはずがないと思い込み、「自分が悪いんだ」とさまざまなことを試します。お腹が張るのは、物を食べて腸が動くせいではないかと考え、食事をほとんど抜いて、1か月で10キロ痩せたこともあったそう。

 

「高校時代の友達や家族に、においのことを相談しても『今までそんなにおいを感じたことはない。今もしない』と言われました。でも職場では罵られるし…。わけがわからなくなっていたんですよね。今考えると、食事をほとんど抜くなんてバカみたいなやり方だとわかるんですが、どうにかしたくて必死だったんです」

 

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病院を受診して、大腸内視鏡検査などを行いましたが、大きな異常は幸いなことに見つからず、やはり過敏性腸症候群だと言われたそう。

 

一方、だんだんと様子がおかしくなっていくAさんに、他部署の人も気がつき始めました。「ディレクターがAさんをいじめているらしい」。その噂が社内に広まり、ディレクターに忠告してくれる人も現れました。

 

しかし、Aさんは次第に、街中で誰かとすれ違っただけで「くさい」と言われた気がして不安でたまらなくなり、人と関わったり、誰かと同じ部屋で過ごしたりすることができなくなっていきます。次第に普通の生活を送ることにも難しさを感じ、退職したそうです。

退職しても「電車が怖い」不安の日々

退職すれば体調が落ち着くのではと期待したものの、その後は「におうのではないか」「誰かに迷惑をかけているのでは」という不安から、電車や人混みでパニックに陥るようになりました。

 

「電車は各駅停車しか乗りませんでした。長時間停車しない快速に乗るのは怖くて。それでも不安でパニックになり2~3駅ごとに降りる毎日。目的の場所まで倍以上の時間がかかるようになりました」

 

人とすれ違うだけで不安になり、コンビニへ買い物に行くことすらできず、自宅へ引き返す日々。当然友達づき合いも減っていったといいます。

再就職後あの手この手で出口を模索

「でも、キャリアをつぶすのが怖くて、すぐに再就職しました」

 

おならのにおいを消す特殊なパンツやフレグランスなど、さまざまなものを購入し対処したAさん。病院を探し、おならの漏れについて検査ができる熊本県の大腸肛門機能診療センターなどを受診。しかし、抜本的な解決には至らず、心療内科でもらった薬を服薬しながら、仕事を続けたそうです。

 

「不安な気もちを改善する薬『SSRI』などを勧められましたが、副作用が不安で手をつけられませんでした。それに、当時の私は薬を飲むこと自体がストレスになっていて、『薬を飲まないと普通の生活が送れない、ダメな人間だ』と落ち込む、悪循環に陥っていたんです。なんとかしなきゃいけないなと感じていました」

 

Aさんは自分の症状について、ネットや書籍を読んで薬に頼らない方法を調べ、カウンセリングが保険適用される病院に通ったといいます。

 

「ガス漏れに悩む人たちが主催するオフ会にも参加しました。女性が多めで、10人くらい参加していたかな。皆さん、『私、今もにおうかも。ごめんね』と話題にしつつ、将来への不安を吐露していました」

 

AさんはSNSで知り合った人と会う不安もありつつ、同じ悩みを共有できる相手と出会える期待のほうが、大きかったと言います。

悩み始めて15年「人間だし」と思えるように

現在30代のAさんは過敏性腸症候群や機能性腹部膨満の症状に悩むことはほとんどなくなっています。

 

「いろいろ調べるうちに、嫌な記憶を自分で強く捉えてしまっているのだなと思って。それを改善するために、成功体験を何度も繰り返し積もうと考えたんです」

 

その頃Aさんには恋人ができましたが、彼と一緒なら、少しつらい状況であっても出かけることができると気づいたそう。Aさんはパートナーとの楽しい思い出を増やし、「出かけても嫌な顔をしている人はいない」「大丈夫だった」という成功経験を増やしていきました。そのうち、自身の症状についてもパートナーへ相談し、「そんなにおいはしないよ」と言われて安心したといいます。

 

「おなかが張るとドキッとしますが、それでも昔のようにパニックになることはありません。転職によって仕事が軌道にのったこと、それにプライベートでは信頼できるパートナーに出会ったことも影響しているかもしれません。『においがする』と指摘されることもないし、仮にあったとしても、人間だし多少はいいじゃないかと思えるようになりました」

 

職場でにおいを指摘されてから10年。高校の教室で違和感を覚えてからは15年が経っていました。Aさんのほほえみから、現在は楽しい毎日を過ごしていることが伝わってきます。

 

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症状改善のポイントは「頑張りすぎない」こと

久里浜医療センターの水上健医師は、Aさんの症状について「腹部膨満外来を訪ねる患者と、ほとんど同じだ」と指摘します。

 

「よく頑張りましたね。自分でたくさん努力することで、『しょうがない』と良い意味であきらめがついて、克服につながったのではないでしょうか。診察はしていませんが、機能性腹部膨満のうちのストレス性の呑気症だったのではないかと思います」

 

ストレス性の呑気症は、仕事などのストレスだけでなく、「匂いがするのではないか」「おならで失敗するのでは」という不安が蓄積され、さらに悪化するといいます。

 

「結局はいろんなことに頑張りすぎないこと。基本的なことですが、継続的な運動を心がけて生活習慣を改善することが症状改善につながります。何より運動をしている間は考えすぎないで済む。継続的な運動をおすすめする一番の理由です」


取材・文/ゆきどっぐ