96年にデビューした知念里奈さん。沖縄アクターズスクールから次々と活躍していく仲間を見ながら、当時はどんな心境だったのか。また、歌手から舞台に活動の場を広げると、辛辣な意見もあったと言います。(全3回中の1回)

仲間の爆走っぷりを見ながら

── 96年にデビュー。当時、アクターズスクール出身の方々が次々に世の中に出ていきました。

 

知念さん:いい時代にデビューさせてもらったと思います。90年代後半で音楽が盛り上がっていって、先にMAXがレールを引いてくれて、SPEEDやDA PUMP、三浦大知…、一緒に練習していた先輩、仲間たちがどんどんデビューしていきましたね。

 

── 周りが活躍していくなかで、どんな気持ちでしたか?

 

知念さん:みんな、こんなにヒット曲が続くなんてすごいな…!って、思ってました。一方で、やっぱり焦燥感もありましたね。比べられることもたくさんあったし、追いつかない、周りがワーって盛り上がっていくなかで、自分はどうしたらいいんだろうと迷うこともあったし。SPEEDも同じ時代にレッスンをしていましたが、デビューと共に爆走していって、私が東京に出てきたときには同じ土俵にも上がれなかったです。

 

アクターズスクール時代 13歳のころ。イベントでミュージカルに出演したとき

あと、歌に関しては自分が曲を書いていないので、どんな曲が来るんだろうって曲との相性、そのときの世の中の流れや運もあるし…、と思いながら、まずは目の前の仕事を一生懸命やってましたね。

なんで舞台にいるの?

── デビューしてしばらくすると、歌手のお仕事から徐々に舞台のお仕事も増えていきました。

 

知念さん:ちょうど『THE夜もヒッパレ』が終わったあたりにミュージカルのお仕事をいただいたんです。初めての舞台は『ジキル&ハイド』という舞台で、鹿賀丈史さんが主演で何度も再演をされていた舞台に、舞台は素人同然の私も入れてもらいました。

 

── 周りは実力者揃いですよね。

 

知念さん:宝塚出身の方とか劇団四季出身など、本格的に演技の勉強をしてきた方もたくさんいらっしゃいました。そもそも、みんなが舞台に立ちたいなかで、私がいろいろな流れから役を演じさせてもらうことになって、納得がいかなかった方もいたと思います。お客さんからもそれは感じました。再演されていた舞台だったので、繰り返し観にいらしゃっていたお客さんもたくさんいたんです。そこに、まったく畑違いの私が舞台に出てきて「なんでここに出てきたの?」といった空気も感じましたし。

 

当時はお手紙をいただくことも多かったのですが、長年のファンから「あなたのあのシーンの解釈はどういうことですか?」とか「あの演じ方は違いますよ」みたいな辛辣なお手紙をいただくこともありました。

 

── なかなかシビアですね…。

 

知念さん:力不足も感じましたね。すごく辛かったです…。デビューしてしばらくは、自分が世間からアイドルとして見られていたのか、そうじゃないのか分かりませんでした。私が舞台に立つ姿を見て違和感を覚えた方もいたと思います。

 

慣れない舞台で余裕がないし、プレッシャーもすごい。一生懸命稽古をするんですけど、緊張と疲労で体もどんどん硬くなっていって。

 

そこで、周りのスタッフさんから「ランニングをすると血が巡って筋肉にもいいし、精神的にもリラックスする」と聞いてはじめることに。シングルキャストだったので、1日2回公演の日もあるし、ハードなスケジュールだったんですけど、これをしたら不安が少し小さくなるような、今よりはもっといいお芝居ができるかもしれないと思ったんですよね。

 

はじめは軽い気持ちからスタートして、次第に日課になって、気づけば毎日走らなきゃいけないような気持ちになっていって。今はとても無理…本番前にランニングをしていたのはそのときだけですが(笑)。それくらいのめり込んで舞台もやらせてもらいました。

 

── 舞台は1か月くらいだったのでしょうか?

 

知念さん:1か月か2か月くらいだったかな。1か月くらい公演を続けていると、少しずつ役でいられる瞬間も見つかるようになってきて。頑張ったら頑張った分だけ反映されていたのか、徐々に辛辣なお手紙も減っていったような。少なくとも、私が舞台に立つことを許してもらえるところまではいったような気はしました。そうしているうちに、初めての舞台が終わる前に次の作品のお話をいただいて。あぁ、そうか。私はこの世界でずっと続けていくのかもしれないって思った瞬間でした。

 

 

PROFILE 知念里奈さん

沖縄県出身。1981年生まれ。96年シングル「DO-DO FOR ME」で歌手デビュー。舞台『レ・ミゼラブル』などミュージカル俳優としても活動。2児の母。写真(C)RISINGPRODUCTION

 

取材・文/松永怜