ミス・ユニバース2007で世界一に輝いた森理世さんは、2019年に米国人の男性と結婚。アメリカでの不妊治療を経て、2021年に女の子を出産しました。産前産後はコロナ禍の真っただ中。周囲に助けを求められず、産後うつの症状に悩んでいた森さんですが、医師の“あるひと言”に心を救われたそうです。(全4回中4回目)

 

アメリカでの不妊治療中にコロナに感染

── 2021年にアメリカでの不妊治療を経てご妊娠されたそうですね。

 

森さん:私は10代の頃に「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。排卵が起こりにくく、自然妊娠しづらい体質だったので、結婚して間もない頃から夫と不妊治療の話し合いを進めていました。私の場合は顕微受精(体外受精)で、排卵を誘発するための注射を毎晩打つ治療だったのですが、それがスムーズに行ったので一度で妊娠することができました。

 

── ちょうどコロナ禍が重なっていましたが、その影響はありませんでしたか?

 

森さん:不妊治療はタイミングがとても重要なので、病院が閉鎖されている間に周期を迎えてしまうと、また一からやり直しになるんですよね。ただ、私は幸いなことに、クリニックが再オープンしたタイミングで通い始めたんです。もちろんマスクを着けたり、帽子を被ったりとルールはとても厳しかったですね。

 

── コロナに感染したら…という不安も大きかったのではないでしょうか?

 

森さん:それがかかってしまったんですよ…!排卵誘発剤の注射を打つサイクルの間だったので、先生に相談したら「私たちも未知のウイルスだから分からないけれど、多分大丈夫だろう」という曖昧な返事しかもらえなくて…(笑)。

 

コロナに感染したら10日間自宅待機して、陰性証明をもらわないと通院を再開できなかったのですが、ちょうど隔離期間が明けたのが次のサイクルに進むタイミングだったので、スケジュールを崩さずに治療を続けられて、とてもホッとしました。

 

出産を控える森さんのために友人たちがベビーシャワーを開いてくれたのだそう!

── 妊娠したと分かったときはどんな気持ちでしたか?

 

森さん:とてもうれしかったのですが、先生たちには「私たちができるのは移植まで。この先は神のみぞ知る」と言われて。「果たして来週まで続くのか」「安定期に入れるのか」とハラハラする気持ちのほうが大きかったのかもしれません。

 

── 妊娠中の体調はもちろんですが、メンタルを保つのもひと苦労だったのでは。

 

森さん:本当に大変でした。妊娠中に黄体ホルモンを補給する薬を投与していたのですが、メンタルが安定せずにイライラしたり、泣きやすくなったりする副作用があったんです。でも、アメリカの病院には精神科の先生もいて、すぐにメンタルヘルスのサポートに繋げてもらえました。

 

あと、妊娠中に「絨毛膜下血腫」になってしまい、大量出血をしてしまいました。胎内の血の塊が剥がれるときに流産の可能性もあったので、しばらく安静にしなくてはいけない期間があり、とても不安になりましたね…。

 

── 出産はスムーズに進んだのでしょうか?

 

森さん:私はつわりが出産日まで続いていて、感じたことのない気持ち悪さがずっとあったので、それはそれは大変でした…。本当に産む瞬間まで吐き気が止まらなかったですね。

 

あとコロナ感染対策で分娩中も何度も体温を測って、鼻の奥から採取するPCR検査をしなくてはいけなくて。「オーケー!コロナじゃないよ!」と言われたら、マスクを外していきむんです。もはや鼻の検査のほうが痛いよ!っていう感じでした(笑)。

コロナ禍で産後うつに…「人生で初めて“大丈夫じゃない”と」

── 初めての育児がアメリカでスタートしましたが、産後のメンタル面はいかがでしたか?

 

森さん:コロナ禍の水際対策で里帰り出産もできず、家族をアメリカに呼ぶこともできず、夫が仕事でいない間はひとりで産後を過ごしていました。娘を生んだのは秋でしたが、その頃のカリフォルニアって日が沈むのがとても早くて、夕方5時前には真っ暗になるんです。それをひとりで見るのが本当に悲しくて、寂しくて。

 

母親教室も閉まっていたので、先生には授乳の仕方などは「ユーチューブで調べて!」って言われて。沐浴はどうするんだろう、ミルクが全然出ない、おむつの替え方はこれで合っているのかな…とたくさんの不安を抱えていたら、産後うつになってしまいました。

 

昨年5月に半年遅れのお宮参りを終えた森さんと娘さん。新生児期に慣れない育児で産後うつになったのだそう

── それは病院の検査で分かったのでしょうか?

 

森さん:そうですね。先生に「Are you OK?」と言われて、ワッと泣いてしまったんですよね。そのときに人生で初めて「私は大丈夫じゃありません」と言いました。

 

ミス・ユニバースの活動中にもツラいことはあったし、いろいろな誹謗中傷も受けたけれど、自分なりの方法で乗り越えてきたんです。そのときでさえ「I’m OK」と言ってきたけれど、さすがに産後は言えませんでした。

 

でも、そこで泣いたことで気持ちがふわっとラクになったんですよね。誰かに「自分は大丈夫じゃない」と弱音を吐けたことで、すごく気持ちがスッキリしてリセットできました。

 

── 今はどのように育児と仕事のバランスを取っているのでしょうか?

 

森さん:地元のダンススクールで講師をしているので、今は娘を連れて3か月ほど日本に滞在して、またアメリカに戻ってという二拠点生活をしています。

 

スクールでは生徒さんたちの理解もあり、娘を見えるところにおいて指導させてもらったり、アシスタントの先生にお世話してもらったりしています。サポートしてもらえる人やコミュニティに出会うことが、お母さんたちにとっては大切な鍵になるなと強く感じていますね。

 

静岡市で母の育子さんとともにダンススクールを設立した森さん。子どもから大人まで幅広く指導しています

将来は日本とアメリカの架け橋になるダンススクールを開きたい

── 娘さんもダンスに興味を示しているのでしょうか?

 

森さん:日本に帰っている間に近くでダンサーの方たちを見ているからか、踊ることはとても好きですね。アメリカには1歳半から通えるレッスンがあるので、そこで「バレエっぽい」ことはもう習い始めています(笑)。将来は、親子三代で踊れたら楽しいですよね。

 

── 息子さんと娘さんはどのように成長してほしいと願っていますか?

 

森さん:自分だけの「パッション」を見つけて、それに向かって諦めずに突き進んでほしいなと思います。お兄ちゃんはまだ10歳なのに「将来僕は何になれるのかな?」って心配して、相談してくるんです。

 

でも、何かになれるのか不安になるより、何になりたいかを見つけることが大切ですよね。焦らずにいろんなことに挑戦して、いろんな人と出会って見つけていくことが大切だよと、つい最近話したばかりです。まったく同じことを娘にも伝えたいですね。

 

母の育子さんとともにステージに立つ森さん。娘さんを加えた親子三代で踊るのが夢なのだそう!

── 森さん自身が今後チャレンジしてみたいことはありますか?

 

森さん:娘を産んだことで「これからの未来を担う子どもたちの存在ってとても大切」だと改めて感じたので、ダンスを通じた幼児教育をしてみたいと思っているんです。今はアメリカと日本を行き来しているので、そのつながりを生かして、日本の文化を取り入れたスタジオをアメリカで開きたいと考えています。

 

たとえば、日本の教室の子たちはレッスンが終わった後に、自分たちが使ったフロアを掃除しますが、アメリカでは清掃員の方がいるので子どもたちが掃除する機会が少ないんです。ただ、日本のメンタルとしては「自分たちが踊らせてもらうフロアは自分たちで磨く」という見えないものへの感謝やリスペクトがありますよね。

 

そういうメソッドを取り入れたダンススクールを開いて、日本とアメリカの生徒が交換留学したり、両国の架け橋になるような場所をつくっていきたいですね。

 

── お子さんたちもそれぞれの国のよい文化を吸収しながら育っていくのでしょうね…!

 

森さん:実はお兄ちゃんは日本の学校に通ってみたいそうで。日本に2回ほど連れて行ったのですが、みんな優しくしてくれたし、食べ物も美味しいし、コンビニが大好きだと(笑)。もしお兄ちゃんが日本で暮らし始めたら面白いなあとも考えてしまいますね。

 

PROFILE 森 理世さん

1986年生まれ。静岡県出身。4歳から母に師事してジャズダンスを始める。2007年、ミス・ユニバース世界大会に出場し、満場一致でグランプリに輝く。歴代最長記録となる14か月の任期を務めた。任期終了後も各国のチャリティー・ボランティア活動に従事。2009年に母とともにダンススタジオ「I.R.Mアカデミー」を設立し、アーティスティック・ディレクターとして直接指導にあたっている。

 

取材・文/荘司結有 写真提供/森 理世