2007年、日本人として史上2人目のミス・ユニバースに輝いた森理世さん。任期中には宿泊先から逃げ出すような危ない場面に出くわすことも。ミス・ユニバースに選ばれた瞬間から大きく変わった生活や、チャリティー活動を通じて生まれた覚悟について伺いました。(全4回中2回目)

 

森理世

宿泊先のホテルに何百人ものデモ隊が押しかけて…

── 日本人として48年ぶりのミス・ユニバース誕生は大きな話題となりました。ご自身を取り巻く環境も大きく変わりましたか?

 

森さん:優勝した瞬間から6人のボディーガードに囲まれるんです。昨日までは自由に歩けていたのに、ボディーガードと腕を組んで歩かなくてはいけなくなり…。メディアでは自分の生い立ちやエピソードがたくさん取り上げられて、まるで自分じゃないような感覚で戸惑う時期もありました。

 

ただ、優勝してから1年間の任期中は身の安全が守られているのですが、次のミス・ユニバースが決まると「お疲れさま!」ってボディーガードがいなくなるんです。ちょっとだけ切なくなりました(笑)。

 

森理世
森さんが着用していた着物風の衣装は世界的に話題になりました

── ミス・ユニバースとしての任期中はどのような活動をしていたのでしょう?

 

森さん:HIV・エイズのスポークス・ウーマンとして世界各国をまわり、特に若い世代の方々に病気の知識を広めて、患者への差別を取り除いていくことが軸になる活動でした。

 

他にも難病を抱える子どもたちやその家族を支える活動もあります。私の場合、祖父が重度のアルツハイマー型認知症で介護歴があったので、患者の家族への支援活動も行っていました。

 

任期中はミス・ユニバースの拠点があるニューヨークで暮らしていたのですが、実際はそこで過ごす時間よりも、他の国をまわっている時間のほうが長かったように思います。同じ国に何度も行くこともあったのですが、国の数だけで言えば15か国をまわり、その国での活動として各3都市は巡りましたね。

 

森理世
ミス・ユニバース在任期間中は世界各国をまわり、難病を抱える子どもたちとの交流を重ねたのだそう

── 情勢的に危険な場所に行くこともあったのでしょうか?

 

森さん:そうですね。情勢的に危険というわけではなかったのですが、宗教上、女性が肌を露出してはいけない地域に行ったときに、ミス・ユニバースの活動への反対運動が起きてしまったんです。肌を見せる水着やイブニングガウン審査に対するものでした。

 

私が泊まっていたホテルの周りに何百人ものデモ隊の人たちが集まり、爆竹を投げたり、バリゲードを押し倒したり…。私は現地の言葉が分からなかったので、通訳さんに「外の人たちはなんて言っているの?」と聞いたら、「ホテルの中に突撃して森理世をつかまえる」と言っていたそうです。さすがに怖いかもしれない…と思いましたね。

 

── トラウマになりそうな体験ですね…。

 

森さん:結局、ボディーガードに守られて、裏口につながるキッチンから逃げ出してその場を離れました。そんなことは長年のミス・ユニバースの活動歴でも初めてだったそうです。

 

でも帰国後に、その国の方からお手紙をいただいたんです。「本当はおもてなしをしたかったのに、あんな騒ぎになって傷ついたらごめんなさい」と書いてあって。なんて温かいのだろう、と感動しました。

 

文化に対する考え方の違いや宗教への思い入れを肌で学ばせてもらえたので、その国のことを嫌いになることはなく、今振り返ればいい経験だったと思います。

ミス・ユニバースとしての覚悟を決めたHIV患者からの手紙

── HIV・エイズの正しい知識を広めるにあたり、かなりの勉強も必要だったと思います。どのように理解を深めていったのでしょうか?

 

森さん:当時住んでいたニューヨークに、HIV・エイズの専門医などエキスパートの方々がいらっしゃって、直接講義を受けていました。あとは現地にあるHIVコミュニティの場に足を運んで、地道にボランティア活動をしながら、感染された方やその家族からいろんなお話を伺いました。

 

スピーチはもちろん英語なのですが、医学的な単語がたくさん出てくるんです。高校留学しかしていない私の語学力ではとても追いつかなかったので、家庭教師の先生がつき、英語の勉強やスピーチの練習もしていました。海外での活動から帰ってきて時間があるときは、ずっと部屋で勉強漬けでしたね。

 

森理世
HIV・エイズのスポークス・ウーマンとしてさまざまな場所でスピーチを重ねてきた森さん

── 世間的には「ミスコン」というと美を競い合うイメージですが、ミス・ユニバースの場合はかなりの知性と教養が求められるのですね。

 

森さん:どうしても華やかな場面が目につきやすいのですが、実際はチャリティー活動に費やす時間のほうが圧倒的に大きいんですよね。スポークス・ウーマンとして、自分の言葉で多くの人々に想いを伝えるには、やはり用意された文章を読むだけでは全然響きません。コミュニケーション能力やプレゼンテーションのスキルの高さが何より大切だと思います。

 

ミス・ユニバースは、世界中の同世代の方々に「自分だって、たったひとりのパワーとエネルギーで何かを変えられるんだ」と伝えていくのが大きな役割です。私のスピーチを少しでも耳に入れてもらい、何かにチャレンジしようというモチベーションにつながればいいなと思っていましたね。

 

── 活動を通じて、特に印象的だった出来事はありましたか?

 

森さん:12月1日の世界エイズデーに合わせて「テスト(検査)を受けましょう」と呼びかけて、各国のメディアの前で実際にテストを行ったんです。その呼びかけを聞いて、テストを受けてくれた方がいたのですが、なんと陽性との診断を受けて帰ってきたそうで…。とてもパーソナルなエピソードを手紙に書いて送ってくれました。

 

そこには「今は二つの感情が入り混じっていて、ひとつは森さんの呼びかけを聞かなければ自分が陽性だと知らずに済んだのにという気持ち。もうひとつはHIVに感染したと知ったことで、適切な治療を受けて、エイズ発症を防げるという前向きな気持ち。どっちの感情が強いかはまだ混乱していて分かりませんが、呼びかけをしてくれてありがとうございました」と書かれていて。

 

私もショックを受けましたし、ひとりの人生をまるで変えてしまうような重い立場にいるのだと強く感じました。これは華やかに着飾るだけの大会ではない。ひとりの人間がアクションを起こすことで、誰かの人生を変えるという大きなミッションに参加しているのだと自覚しました。

 

森理世
森さんはHIV検査の啓発活動の一環として多くのマスコミの前でみずから検査を受けたのだそう

容姿や語学力に誹謗中傷…「今でも自分の名前は検索できない」

── 2021年、世界5大ミスコンの歴代日本代表の有志によって「5 Crowns Japan」を立ち上げましたね。活動趣旨のなかには「日本代表に選出された当時、マスコミやSNS上で容姿について攻撃された人もいます」とのコメントもありましたが、森さん自身もそのような体験があったのでしょうか?

 

森さん:もちろんありました。インターネット上のコメントは匿名が多いので、言葉がより厳しくなりますし、表現がよりストレートになります。自分の外見や語学力、能力に対する批判的なコメントはもう何万と目にしてきました。それは自分自身のトラウマですし、今もインターネットで自分の名前を検索することはできません。本当に、本当に傷つきました。

 

今は誹謗中傷に対する心のケアも浸透していますが、当時は「有名税だから仕方ない」「暇で書いているのだから気にしちゃダメ」というアドバイスが多かったんですね。でも、言われたほうはとても傷つきますし、今でも思い出すこともあります。受けた心の傷って、本人しかわからないものですよね。

 

森理世
森さんはミス・ユニバース2007として活動中、容姿などへの心ない言葉に悩んでいました

── 森さんはそのような誹謗中傷にどのように向き合ったのでしょう。

 

森さん:今も気にならないわけではないのですが、目に入らないようにすることが、自分の心を守る大切なケアのひとつだなって。でも、今の若い子たちはみんなスマホを持っていて、幼い頃から自分の容姿やダンスの動画をアップしていますよね。心も身体も未熟な子どもたちが批判の言葉を目にしたら、絶対に影響があるだろうし、大人以上に傷つくだろうと心配になりました。

 

── 今後はさまざまな活動を通じて、美と健康やメンタルヘルスの大切さなども伝えていきたいとのことですが、そういった思いが活動の趣旨につながっているのですね。

 

森さん:世間が良しとする美の基準から外れると批判が来やすいのですが、だからといって世の中が定める「可愛い」や「美しい」の基準に無理して合わせる社会にはなってほしくないなと思っています。

 

私も自分がよいと思っていたものに対して批判の声を浴びると、やっぱりやめようかなと揺れ動くこともありました。ただ、これだとミス・ユニバースが掲げる自分らしさ、エンパワーメントの精神に反するなと思い、自分が居心地のよいと思うものを発信していこうと決めました。

 

若い世代の子たちには、みんなが良しとする枠に入るだけでなく、そのなかで自分らしさを出すことを怖がらずに貫いていってほしいなと思います。

 

PROFILE 森理世さん

森理世

1986年生まれ。静岡県出身。4歳から母に師事してジャズダンスを始める。2007年、ミス・ユニバース世界大会に出場し、満場一致でグランプリに輝く。歴代最長記録となる14か月の任期を務めた。任期終了後も各国のチャリティー・ボランティア活動に従事。2009年に母とともにダンススタジオ「I.R.Mアカデミー」を設立し、アーティスティック・ディレクターとして直接指導にあたっている。

 

取材・文/荘司結有 写真/森理世さん提供