2007年、日本人として史上2人目のミス・ユニバース世界大会グランプリに輝いた森理世さん。1か月間にわたり行われた世界大会は、精神・体力ともに限界まで追い込まれる期間だったといいます。その過酷すぎるプログラムに秘められた意図や、森さんが考えた世界大会到着時の“ある戦略”などについて伺いました。(全4回中1回目)

 

「10代最後の思い出として」大会応募を決めた亡き祖母の言葉

── 森さんは20歳のときにミス・ユニバースに輝きました。そもそも応募を決めるまでにどのような経緯があったのでしょうか。

 

森さん:出場のきっかけは祖母の言葉でした。私は小さい頃からダンスを習っていて、将来はブロードウェイダンサーになりたいという夢があったので、高校時代はカナダにバレエ留学をしていたんです。その留学から一時帰国した19歳のときに「10代最後の思い出として何か大きなことにチャレンジしたら?」とアドバイスされて。

 

たまたまミス・ユニバース日本代表を決める大会の応募が目に入り、調べてみると女性の活躍をあと押しする団体だと知りました。私自身、ダンスを通じて女性が多い世界で生きてきましたし、通っていたのも女子高で、女性に囲まれている生活が長かったので、女性が女性をサポートするという趣旨に興味を持ったんです。

 

── どうやってミス・ユニバースの応募に辿り着いたのでしょう?

 

森さん:ちょうどカナダの留学生活が終わる間際で、次はニューヨークに行こうと進路を決めていた時期でした。カナダから帰国する前に、テレビでミス・ユニバースの大会が放映されていて、「こんな世界があるんだな」とぼんやり頭のなかに残っていたんです。

 

当時はスマホがなかったので、情報がすぐに手元に入ってくる時代ではなく、自宅のコンピューターでダンスの動画を漁っていたら、たまたま日本代表の選考会の応募が目に留まり、「あのカナダで見た大会かな」と思いきって挑戦することにしました。

 

ただ、結果はまったく期待せずに、挑戦することへのワクワク感を得るために応募したという感じでした。

 

── 幼い頃からダンス漬けの日々を送るなかで、ファッションやメイクにも興味はあったのでしょうか?

 

森さん:カナダの留学時代に流行っていたのは、ビーチサンダルに合わせたファッションでした(笑)。ミス・ユニバースで見かけるドレスにヒールといったファッションとは真逆の服装で生活していたので、大人の女性の振る舞い方やファッション、メイクはまったく未知の世界でしたね。

 

── ステージ審査などでは長年のダンス経験が生きることもあったのでは?

 

森さん:ダンサーなので、姿勢よく歩くことが逆に堅苦しく見えることもあったんですよね。ただ、体幹を鍛えているのでターンしても姿勢が崩れないことや、何よりステージに立ってパフォーマンスすることに慣れていたので、その部分では自分の経験を生かせたかなと思っています。

 

世界中から集まった代表たちと写真に収まる森さん(左から3人目)

世界大会が始まるギリギリに到着したワケ

── そして見事、約4000人の応募者の中から日本代表に選ばれました。2007年の世界大会が開催されたのはメキシコの首都・メキシコシティでしたね。

 

森さん:世界大会には「この日程の間に着いてください」という期間が設けられていて、いつ到着するかはそれぞれの代表に委ねられているんです。私は最終日に到着したのですが、実はちゃんと策がありまして…。

 

── その策、というのは…?

 

森さん:やはり「ジャパン」を背負った代表が降り立つ瞬間から大切なので、最後に登場したほうがインパクトがあると思ったんです。しかも日本でギリギリまでメンタルトレーニングや質疑応答の練習に時間を費やせる。美容院でカットしている間も隣にトレーナーがいて、呪文のようにブツブツとスピーチの練習をしているような状態でしたから(笑)。

 

── 美容院に行っている間も…!世界大会の1か月もかなり過酷だと聞いていますが、実際はどのようなスケジュールを送っていたのでしょう?

 

森さん:大会期間中の1か月間は、チャリティー活動や文化交流、現地の観光への協力、プログラム用の撮影などさまざまな予定が朝から晩まで詰まっていました。

 

各国の新聞やテレビのインタビューを受ける時間もあるのですが、何度も呼ばれる代表の子もいれば、なかには1回も呼ばれない場合もあって。そうなると「注目されていないんだ…」と自信を失くして、一喜一憂してしまう。私も各国のメディアから呼ばれる機会が少なかったのですが、何とか気持ちを落とさずに頑張りました。

 

ミス・ユニバースは華やかな場面が目につきやすいのですが、インタビューでは政治的な課題や、国としての立場を問われるような質問をされることも多く、日本代表として自分の想いを正しく伝えなければいけない。自分の知性を問われるテストに、毎日チャレンジしている感覚でした。

 

大柄の着物を身にまとい、その上に黒の打ちかけを羽織った斬新な衣装が話題になりました

── 知性に加えて、精神面の落ち着きや忍耐力も問われそうですね。

 

森さん:それに加えて、後半の2週間はステージの振り付けやウォーキングのレッスンが始まるので、精神・体力ともに限界に追い込まれるような1か月でした。みんな舞台袖で立ったまま寝ているし、ちょっとしたランチタイムでも目をつぶっていて(笑)。

 

人間って疲労やストレスが溜まるとイライラして、自分のいいところを表現できなくなると思うんです。だからこそ、自分が最悪なコンディションでも一番ベストな状態を見せられるかどうかを見られていたのかな。ミス・ユニバースに選ばれたら、世界の女性のお手本として各国を回るわけなので、その1か月間が心身ともに安定しているかどうかがいちばん大切だったのだと思います。

ミス・ユニバースに選ばれた瞬間「一瞬錯覚してしまい…」

── 審査の休憩時間などでは他国の代表と交流を深めることもありましたか?

 

森さん:それが、休む時間がほとんどなかったんです。代表たちは自分の国を猛烈アピールしに来ているので、たとえばバス移動に2時間近くかかるときでも、ずっと大声で歌っているんですよね。

 

仲のよかったミス・コリアやチャイナの子たちは民族歌謡を歌えたので、それはそれは素晴らしいコンサートを聞いているようで。ラテンの子たちは暇があればサンバを踊っていましたし、本当に気を抜く暇がありませんでした(笑)。

 

世界約80か国の代表たちの中から満場一致の得票で優勝し、世界一の栄冠に輝いた森さん

── 審査が進むにつれて各国の代表間でライバル意識も芽生えそうですが…?

 

森さん:私も一緒に生活する前は、世界各国の人間離れした驚異の女性たちが戦うイメージだったのですが、実際はライバル同士なのに必ずサポートし合うし、同じ環境で同じ目標に向かって走っていると、家族の絆みたいなものが生まれるんですよね。

 

不思議な感覚なのですが、誰が優勝しても心から喜べる気持ちになっていて。もちろん王冠を頭に載せたいという気持ちもありましたが、最終選考会の前日は「みんなで過ごした日々が明日で終わるんだ…」という卒業式のような切ない思いがありました。

 

ミス・ユニバース2007に選ばれた瞬間、驚きのあまり顔を覆う森さん

── ミス・ユニバース2007に輝いた瞬間の気持ちは今でも思い出されますか?

 

森さん:発表のときは「1st Runner UP」という準グランプリの国から先に名前が呼ばれます。私の場合はジャパンかブラジルだったので、まず「ブラジル」と呼ばれたときに一瞬錯覚してボーッとしてしまいました。まさか自分が選ばれるとは…という感じでしたね。

 

PROFILE 森 理世さん

1986年生まれ。静岡県出身。4歳から母に師事してジャズダンスを始める。2007年、ミス・ユニバース世界大会に出場し、満場一致でグランプリに輝く。歴代最長記録となる14か月の任期を務めた。任期終了後も各国のチャリティー・ボランティア活動に従事。2009年に母とともにダンススタジオ「I.R.Mアカデミー」を設立し、アーティスティック・ディレクターとして直接指導にあたっている。

 

取材・文/荘司結有 写真提供/森 理世