「子どもはちょっとくらい泣いていても大丈夫」と言われても、それができないのがツラかったと語る北陽・虻川美穂子さん。どのようにして、徐々に手が抜けるようになったのか。(全5回中の3回)
キャパオーバーで記憶がない
── 出産後、ホルモンバランスの乱れからイライラしたり、落ち込みやすくなる人もいるそうです。虻川さんはいかがでしたか?
虻川さん:育児疲れと母乳にこだわるプレッシャーもあって、少し不安定だったような気がします。友達が出産祝いに来てくれても、友達そっちのけで子どものことが気になっちゃったり。友達が親切心からかけてくれた言葉すら素直に受け取れなかったこともありました。
── 何があったのでしょう?
虻川さん:赤ちゃんが泣くたびに抱っこしていたら、「ちょっとくらい泣いたって放っておけばいいのよ」「もっとゆったり構えていて大丈夫」って友達に言われたんです。赤ちゃんが泣く=悲しいからだと思っていたし、放っておきたいけどそれができないからツラいんだって、少し神経質になっていましたね。
今思えば、友達はもっと肩の力を抜いてリラックスしていいんだよ、って励ましの気持ちで言ってくれたんだと思います。でも、当時は慣れない育児で余裕がなくて、せっかくのアドバイスも「注意された」と感じたこともあります。
── 旦那さんは、子育てにはどう参加されていましたか?
虻川さん:夫は飲食店で働いているので、どちらかというと私と子ども2人の時間が長いんです。それでも、ランチと夜の営業の間には家に戻ってきたり、時間を見つけては帰ってきます。
ただ、ある日。私と生後半年の息子で2人だけで過ごしていたとき、息子がなかなか泣き止まない日があったんです。夫が仕事から帰宅すると、私がワンワンと泣き続ける子どもの前で仁王立ちをしていたらしく、夫は子どもをサッと抱き抱えて、別の部屋に連れていったと後から聞きましたが、私がそのときの記憶があんまりないんですよね。多分キャパオーバーで、記憶も飛んでしまったんだと思います(笑)。
離乳食の味つけをしたいシェフの夫としたくない妻
── ご自身を追い詰めてしまったのでしょうか。生後半年といえば、子どもの離乳食が始まる頃ですね。
虻川さん:ここもまた気をつかいました。おかゆの硬さから1回にあげる量、食べさせていい食材なのか、子どもがおなかをこわさないか、アレルギーが出ないかなど、いろいろと神経を使うことが満載なんですよね。しかも、離乳食のあげ方で夫と何度か険悪な雰囲気になったこともありました。
── どのようなことで?
虻川さん:私は、離乳食は育児書どおり、ご飯や野菜など、それぞれの素材の味が感じられるように味つけはいっさいしたくなかったんです。でも、夫は「味がないと食べにくいだろうから」と、すごく薄くだけど味つけしようとしたんですよ。私は薄かろうが味がついているのが許せなくて、少し険悪な空気になりました(笑)。
── 離乳食はすべて手作りだったんですか?
虻川さん:最初は全部手づくりでした。不器用なのでおかゆ、かぼちゃ、にんじんなど2時間かけて作っていました。
たくさん作って冷凍して、食べる前に解凍していましたが、子どもはなかなか食べてくれなかったんです。でもある日、従兄弟が遊びに来て。ここでもまた、「そんなに気にしなくても、子どもは元気に育つから大丈夫だよ」って言われました。そのときは、人の話を聞く余裕も少しあったのか(笑)、徐々に市販の離乳食も取り入れていくようになりました。
── 虻川さん自身も変化されていったのでしょうか。
虻川さん:そうかもしれません。そうはいっても、イライラしたり、リラックスしたりの繰り返しですけど。それがしばらく続き、いい意味で手を抜けるようになったなと感じたのは、子どもが保育園の年長さんあたり、5歳くらいになってからかな。さすがにその頃は離乳食ではないですけど、食事も子どもへの接し方も、以前ほどは神経質にならなくてもよくなっていったような気がします。家以外、保育園でお友達と遊んでいる姿を見たりするうちに、なんとなく安心していったのでしょうか。
PROFILE 虻川美穂子さん
埼玉県出身。高校の同級生だった伊藤さおりさんとお笑いコンビ「北陽」を結成。現在、1児のママとして、仕事と子育てに奮闘中。著書に『北陽の‟かあちゃん業“まっしぐら』(主婦の友社)。
取材・文/間野由利子