文芸サイトに投稿した、祖母とのロンドン旅行の思い出を綴ったエッセイが多くの反響を集め、書き下ろしを加えた『祖母姫、ロンドンへ行く!』(以下、『祖母ロン』 小学館刊)を出版した作家・椹野道流(ふしの・みちる)さん。WEBに公開したエッセイに、書籍化を望む声が多かったことに驚きを感じたと言います。
受賞の感想は「いい記念になったなあ」
「鬼籍通覧」(講談社ノベルズ)や「最後の晩ごはん」(角川文庫)ほか、数々の人気シリーズで多くのファンを持つ椹野さん。デビューのきっかけは友人から偶然誘われた、出版社主催の応募企画でした。
「高校時代からの友達がイラストを描いていて、イラスト大賞に応募したいという話からでした。でも『ひとりで出すのは嫌だから、一緒にやろう。小説を書けるなら、一緒に小説部門に応募しよう』と言われ、もうイラストじゃなく全然別部門だけど友人的にはそれでいいのか?と思いつつ『いいよ』と(笑)。それが佳作を受賞した、講談社ホワイトハート大賞でした。
応募作品は高校時代にルーズリーフに書き散らしていた小説をリライトした『つもり』でした。でもあとで元の小説と照らし合わせてみたら何故か全然違う話で。結局自分は何をリライトしたつもりだったのか…今もよくわからないんですよね(笑)」
今や人気作家として活躍する椹野さんですが、受賞の際は「いい記念になったなあ」と感じただけで、まだ作家になることは考えていませんでした。
後から「なるほど」と思う担当編集の教え
椹野さんは法医学が専門の医師でもあり、医療系専門学校で講師の仕事もしています。小説家の仕事以外も続けているのは、受賞後、作家デビューに導いてくれた担当編集者の言葉が、心の底に根づいているからだそう。
「受賞したことも忘れた頃、最初の担当編集になった方からお電話があり、『俺が思う方向に書き直してくれたら、デビューさせてやらんこともない』というようなお話をいただきました。そのときに『書き直しが上手くいかなければ、そこまでだから。早まって仕事を辞めたりしないでね』と、クギを刺されて…。彼の言葉は端的すぎて、ときどきわからないこともあったけれど、あとから思えば『なるほどなあ』『覚えておかなきゃ』という大切なことを、全部教えてくれた人でしたね」
デビュー直後には、「デビューさせた責任があるから3冊は出すけど、それが鳴かず飛ばずだったらもう、さようならだから」。ほかにも「調子にのって今の仕事を辞めちゃダメ」「浮かれて東京に出てくるな」「同業者とつき合うと、自分の待遇に疑心暗鬼になるから、極力、作家と友達になるな」など、厳しいけれど担当作家の将来や人生を考えた、良心的で裏のない教えを授けてくれた貴重な人物だったと椹野さんは回顧します。
「浮き草稼業なので、ベースの収入があるのは大事です。でもデビュー当時は時代的に『専業作家じゃないと認めない』というような風潮があったので兼業作家は肩身が狭くて。同じジャンルの作家から『覚悟がない!』と、なじられたこともあります。心のなかでは『覚悟なんて、あるわけない』って思っていたけど(笑)。
作家と別の仕事を続けたのには、私の場合、経済的なことだけじゃなく『生活サイクルのため』という理由もあります。というのも、体調を崩して一時的に専業状態になった際、生活時間がすごく不規則になってしまったんです。一般の方と同じタイムテーブルで生活するのは、健康面のメリットも大きいですね」
Twitterに投稿した愛猫・ちびすけの成長が人気エッセイに
4月20日、WEB公開していたエッセイに書き下ろしを加えた『祖母ロン』が出版されただけでなく、昨年2月には保護した子猫・ちびすけと先住猫たちの交流まとめたフォトエッセイ『ちびすけmeetsおおきい猫さんたち』(三笠書房)を出版した椹野さん。Twitterに投稿していた愛猫たちの写真に、短い文章を添えた作品は「版元の担当がのけぞるほど(笑)売れたみたい」と笑います。
ただ、SNSやWEBサイトに公開し、無料で見られるものを書籍化することに、出版社は当初、懐疑的だったそう。
「『ちびすけmeetsおおきい猫さんたち』はTwitterに投稿してきた猫たちの写真を厳選し、日々の様子や猫たちとの出会いなどを短い文章で書き添えています。フォロワーの方たちは『ずっと見守ってきた猫たちの成長記録が1冊にまとめられ、本として手元に置ける』といった点に、価値を感じてくださった方が多いみたい。
『祖母ロン』も書き下ろし部分以外、ベースとなった連載は現在もWEBで読めますが、出版告知の前から、書籍の形でほしいと思ってくださっていた方がたくさんいらしたんです。『ネットで見られるものに、お金を払う人なんていないでしょ』というスタンスの版元もいまだ多いですが、私はこの2冊を通じて、読者の方には意外と『手元に置きたい』『手に取って眺めたい』というニーズがあるのだ、ということを発見しました」
現在は「ステキブンゲイ」で「晴耕雨読に猫とめし」、小学館の文芸サイト「小説丸」にて、『祖母ロン』の“エピソード0”とも呼べるイギリス留学中の体験記「椹野道流の英国つれづれ」を、またKADOKAWAの投稿サイト「カクヨム」では「猫と私」などのエッセイを連載するかたわら、小説家としても精力的に活動しています。
「小説は小説で、それぞれのシリーズを楽しんでくれる方がいます。いっぽう、コンテンツが枝分かれして多様化するなか『フィクションや物語を読むのがしんどい』と思う人もいる。エッセイを書いてみて、そういう『しんどい』方々にも楽しんでいただけそうなのはこの形なんだな…と感じています。だから小説もエッセイも、どちらも書いていきたいですね」
小説に登場するのが「わが家の食卓メニュー」の理由
椹野さんの人気シリーズには「最後の晩ごはん」をはじめ、日々の食事や定食メニューなど、多くの料理が登場します。一部には巻末レシピもありますが、分量が記されていなくてもストーリーを楽しみながら「明日の夕食に作ってみよう」と思える料理が少なくありません。物語や世界観と密接にリンクする料理の数々は、登場人物の性格などから割り出していると、椹野さんは語ります。
「基本的にレシピを書く習慣がなく、登場する料理は普段のわが家で食卓にのぼるメニュー。だいたいキャラクターごとに『こういうものが好きだろうな』というイメージがあるので、自分が作れるもののなかから、組み合わせてヒョイっと持ってくる感じです。例えば『最後の晩ごはん』に登場する夏神さんはなんでも作れますが、最新刊に登場するプリンについては、夏神さんなら『作るよりモロゾフが美味い』って言うだろうな…と思って、そんなふうに書いています(笑)。
『ハケン飯友』に登場する沖森さんの料理は、わが家の味というより料理研究家・鈴木登紀子先生(通称・ばぁば)のレシピをイメージ。沖森さんは高齢で体が弱いし、大胆な性格だから、手間のかかる工程を省く感じです。買い物にも頻繁に行けない人だから、日持ちする根菜類を使ったレシピが多いのも、キャラクターの特徴を反映しています」
さらにご自身の家庭料理を中心にしているのには、理由があると言います。
「漫画やアニメではたまに、すごくゴージャスな食卓を表現しているはずなのに、なぜか超庶民的なファミレス感のある料理が並んでいたりすることがあるじゃないですか(笑)。やっぱり作品には、作り手側の生活環境が出てしまうものだと思うので、あまり無理をしてボロがでないように…という考えもありますね」
PROFILE 椹野道流さん
兵庫県在住。作家。多くの人気シリーズに加え、愛猫のフォトエッセイ『ちびすけmeetsおおきい猫さんたち』(三笠書房)も話題に。法医学が専門の医師でもあり、医療系専門学校で教壇に立っている。
取材・文・撮影/鍬田美穂 写真/PIXTA