タレントの風見しんごさんは、今から16年前、当時10歳だった長女のえみるさんを通学中の交通事故で亡くしました。昨年末から米ロサンゼルスで暮らす風見さんは、現地の子どもたちの通学スタイルの違いについて「子どもを守ることへの温度差」を感じると言います。お話を伺いました。
時間の経過とともに知る事実
── 長女のえみるさんを交通事故で亡くされてから、事故防止を呼びかける活動に精力的に取り組まれています。
風見さん:事故に遭って半年後くらいから始めたのでもう16年になります。でも定期公演の活動とは違うので、自分に声がかからないときの方が実は幸せで。何か大きな事故があると警視庁や自治体などから依頼が来ます。依頼がないときは事故がないときなので、自分の出番ができるだけない方がいいなと思っているんです。
月日が過ぎていくことへの不思議さは、次女がいちばん感じていると思います。次女は20歳になるんですが、彼女にとってお姉ちゃんの姿は10歳のまま。お姉ちゃんなのに、自分の方がどんどん年齢を重ねていく。次女は、お姉ちゃんとの思い出は1歳代の記憶もあるそうなんです。
── 3、4歳頃からの記憶がある方のお話はよく聞きますが、1歳とは驚きました。
風見さん:長女が亡くなったとき次女は3歳でしたが、それ以降、お姉ちゃんとの記憶が増えていかないんです。そこまでの記憶を繰り返し、繰り返し、思い出してしているからだと思います。覚えているのは長女との記憶に限定されているそうなんですが、本当に細かいことまで。「あのとき、えみるはこの鉛筆とこの鉛筆とで迷っていたけど、こっちの鉛筆を買った」とか。
お姉ちゃんという引き出しがもういっぱいにならないからだと思います。きっとその思い出がいっぱいになったら、昔のものから消えていくんでしょうけど、消えないんですね。
── 16年が経過して、心境に変化はありますか。
風見さん:月日を重ねて思うのは、むしろ16年経った今は、僕たち親より次女の方がもっと重たいものを背負ってしまっているんじゃないかと感じることがあります。
次女は時々、すごく落ちることがあって。誰に言われたわけではないのに、「お姉ちゃんじゃなくて私がいなくなった方が幸せだったんじゃないか、なんでお姉ちゃんだったんだろう」という不安が襲ってくることがあるそうです。誰に言われたわけではないのですが。
── 胸が苦しくなります。
風見さん:子どもが亡くなると、一般的に親が悲しんでいるというのは皆さん感じていらっしゃると思いますけど、実際にはきょうだいもそうですし、友達もそうです。長女の親友は自分が親の立場になってみてさらに苦しさを感じると言っていました。あの日のことはいまだに鮮明に覚えているそうです。
僕は事故があった日、現場に行って、救急車に乗って。とにかく長女のことだけを考えていたので、学校での出来事は知らなかったのですが、長女の親友が手紙で教えてくれました。
── 手紙にはどんなことが書かれていたのでしょう。
風見さん:その日の朝、長女の親友は「えみるが来ていない。きのう塾で会ったのに、おかしいな」と思ったそうです。そこから担任の先生が泣きながら教室に入ってきて、全員、体育館に集まるようにと。校長先生も泣いていて、他の先生もうつむいていて。彼女はその空気だけで子どもながらに「えみる、死んだの?」と思ったと。
そのあと、校長先生から長女が交通事故に遭ったという話を聞いたそうですが、変な予想が当たってしまったというふうに書かれていました。担任の先生は立てない状態だったそうです。
長女の親友が25歳のときに教えてくれたのですが、子どものときは怖くて口に出せなかったと。あの日から僕たちずっと家族もつらかったけれど、それは友達も一緒で、学校でも悲しみが生まれていたんだということをそこで初めて知りました。
── 時間の経過とともに知ることもあるんですね。
風見さん:特に亡くなって最初の5年近くは、正直、悲しいとか苦しいとか、自分の感情でいっぱいいっぱいで、周りの方のことまで考える余裕がありませんでした。でもこうやってあとから、どれだけの人が悲しんだのかというのを時間の経過とともにわかるようになって。周りの子たちもそこからずっと悲しみを背負って生きていくと思うと、未来のある子どもたちが犠牲になることは本当に防がなくてはならないと思います。
渡米で感じた温度差
── 昨年末からロサンゼルスで生活を始めていますが、現地の子どもたちの通学の様子を見て感じることはありますか。
風見さん:車線の数も道路の広さも違いますし、スピードを出した車が大破するような事故もニュースで見ます。でも、子どもたちの通学の列に車が突っ込んだというのは見たことがないですし、そもそも子どもだけで歩いて学校に行くことはありません。日本では小学校1年生になると、ランドセルを背負って子どもたちだけで学校に通う光景を目にすると思いますが、これをアメリカでしたら州によっては逮捕されるところもあります。
── 違法にあたる場合もあると。
風見さん:必ず誰か大人と一緒に行動して、子どもから目を離すなというのを強く感じます。ですので、親や代わりの人が学校まで送り届けるか、スクールバスで通います。みなさん映画などで見たことがあると思いますが、あの黄色いバスですね。よく日本でニュースになるような、車内に子どもだけを置いていくなんていうのも、言語道断な感覚です。
日本では親から離れて自立心を育てることが大切だという声も聞かれますが、実際にこちらに住んでみて、アメリカの子どもたちが自尊心のない子どもに育っているかと言ったら違うと思いました。それに、もし歩く場合にも歩道は広い。日本のように歩道が狭くて、そこを子どもたちが列をなして歩いているような光景は見たことがありません。
── アメリカでは子どもを守る意識が高い理由のひとつに治安の問題もありますね。
風見さん:それもあると思います。銃社会ですし、子どもたちを襲撃する事件なども起きています。ただ、日本では少子化も進んで対策が急務となっているなか、子どもは国の宝で、守らなければならない存在だというのをもっと考えなくてはならないと思っています。親も働いている方が多いですし、時間の制限もありますから、最終的に国が音頭を取らないと全体の意識は変わらないと思います。
特に僕は娘を亡くしているのでより強く感じるのかも知れませんが、子どもを守るという意味ではアメリカと日本の温度の違いを感じますね。
── 日本では新学期が始まりますが、改めて訴えたいことは何ですか。
風見さん:当たり前のことといえば当たり前なんですが、世の中のルールは大人が作っています。子どもはそのルールに従うだけ。でも大人が作ったルールに従った子どもが、ルールを破った大人によって命まで落とされるというのは、これ以上、理不尽なことはないです。本当に今までのやり方を続けていいのか、交通ルールや通学スタイルについても、諸外国のいいところは取り入れたり、見直したりしてほしいと思うんです。
長女の事故もそうでしたが、青信号で横断歩道を渡っている通学中の子どもの列に車が突っ込んだというようなものは、どう考えても大人が悪い。僕らの時代は路地裏でボールを蹴ったりして遊んでいましたけれど、もうそんな時代ではありませんし、赤信号を平気で渡るのは大人です。小学1年生で赤信号を渡るような子はほとんどいません。
── 大人が自分たちで作ったルールをみずから破っている。
風見さん:今だからこう言っていますが、正直僕も娘が事故に遭うまでは、「自分は大丈夫。うちの家族に限って事故に巻き込まれることはない」と、どこかで思っていました。運転にも自信があるし、安全運転もしている。でも、それがいちばん違った。娘は僕にそれを教えたかったのかもしれません。僕が思っていたことには、なんの根拠もありませんでした。
自分は大丈夫、という思いだけでは事故は絶対に防げないと反省しましたし、僕のように、経験したあとで気づいても遅くて、どんなに悔やんでも二度と取り返せないこともあります。被害者は本当に大変です。誰もなってほしくないと思っています。昔の僕のような考えを持っている方がいれば、いますぐ捨ててほしいと思っています。
PROFILE 風見しんごさん
1962年広島県生まれ。18歳で「欽ちゃんの週刊欽曜日」にてデビュー。歌手、タレント、俳優として幅広く活動。「噂の!東京マガジン」では25年間レギュラーを務める。還暦を機に米ロサンゼルスに移住。
取材・文/内橋明日香 写真提供/風見しんご