「いろんな意見があるかもしれませんが、自分で納得して覚悟を決めた卵子凍結です。やらない後悔はしたくなかったので」と話す竹内智香さんは、冬季五輪で日本女性最多の6度の出場記録を持つアスリート。自身の経験について真摯に話をしてくれました。

 

滑る前の断崖にビックリ。スノーボード競技の過酷さが伝わってくる

競技を続けながら子どもを授かる可能性を残すために

── 2020年秋に「卵子凍結」を公表されました。きっかけを教えてください。

 

竹内さん:2008年に卵巣の手術をしており、妊娠にハンデがあることは以前からわかっていました。

 

だから、20代のころから卵子の老化の知識や卵子凍結のことは調べていて、将来、子どもを持つための選択肢として頭にいれていたんです。

 

2018年の平昌五輪から2年間の休養を経て、復帰を決めたときは36歳。35歳を過ぎると妊娠の可能性が低下することは知られています。

 

2年後の北京五輪を目指すなら、さらに妊娠の可能性が厳しくなっていく。子どもを授かるタイムリミットを考えると、やるならいまだなと考えました。

 

── 卵子凍結をするにあたって迷いはなかったですか?

 

竹内さん:競技を続けながら、子どもを授かる可能性も残しておくためには、必然の選択だったと思っています。

 

もともと“やらずに後悔”するよりも、“やって後悔”するほうがいいと考えるタイプなので、卵子凍結自体にも迷いや葛藤はありませんでした。

 

ただ、世間に公表するかどうかはずいぶん悩みましたね。

 

── そうなのですね。それでもあえて公表されたのは、なぜでしょうか?

 

竹内さん:30歳くらいから「結婚は?」「子どもは?」といった質問をされることが増えていました。

 

仲間同士の会話ならさほど気にはなりませんが、取材などで初めて会うメディアの人たちからも、そうした質問を投げかけられるのは正直かなりのストレスになっていたんです。

 

一方で、メディアの存在があるからこそ、私たちの活動を知ってもらえるわけですから、きちんと対応することも大事。

 

だからこそ、繰り返されるこの質問とどう向き合えばいいのか、いろいろと考えました。

 

この先もきっとついて回るだろう苦痛から解放されるには、自分の選択を公表したほうが私自身もラクになるし、競技に集中できる。そう考えて、公表に踏み切りました。

20個前後の卵子凍結「手術前もつらい」お腹の張りや痛み

── 卵子凍結は、将来的に子どもを望む女性たちにとって心の支えになる方法でもありますが、日本ではまだまだ賛否両論あります。

 

竹内さん:卵子凍結を「自然の摂理に逆らうこと」「命を軽視しているのでは?」と、とらえる人がいるのも理解しています。

 

ただ、医学が進化するなかでこうした選択肢が存在するわけですし、多様な価値観があるなかで、自分が納得して覚悟をもって決めたことであれば、そこに「いい」「悪い」はないと思っているんです。

 

── 卵子凍結は、体への負担も大きいと聞きます。実際に経験されて、いかがでしたか?

 

竹内さん:私の場合は、複数回採卵をし、20個前後の卵子を凍結したのですが、思ったよりもダメージが長引き、元の状態になるまで時間がかかりました。

 

採卵前に1週間ほど、自分でお腹に誘発剤の注射を打ってからクリニックで手術を行うのですが、その後、しばらくお腹の張りや痛みが続き、歩いたり、ジャンプするのが苦痛でした。

 

3週間くらいは思うようにトレーニングができず、選手としてはそれも辛かったですね。

 

── クリニック選びは、どのようにされたのですか?

 

竹内さん:じつはちょっとした巡り合わせがありました。

 

病院選びに悩んで調べていたのですが、知人から「いい先生知っているよ」と教えてもらったのが、偶然にも、昔、卵巣の手術を担当してくださったドクターだったんです。不思議な縁を感じましたね。

失敗しても後悔ない人生を「卵子凍結もそのひとつ」

── その後、スノーボードとの向き合い方は変わりましたか?

 

竹内さん:妊娠のリミットという不安要素が後退して、出産の可能性を残したことで、目の前の競技にも集中できるようになりました。

 

そもそも私は、選択肢はできるだけ多い方がいいと思っていて、そのほうが未来の可能性が広がります。私にとっては、卵子凍結もそのひとつです。

 

また、卵子凍結をしたことで、子どもを持つことについて考えるいい機会にもなりました。

 

── それは、どういった思いでしょうか?

 

竹内さん:子どもを授かる時間に猶予が生まれたことで、今度は「私は本当に子どもが欲しいのだろうか」と、自分の気持ちに深く向き合いました。

 

そしていま思うのは、「妊娠できるリミットが近づいている焦りから、余計に子どもが欲しい気持ちが強くなっていたのかもしれないな」と。

 

実際にいま、子どものいる人生を想像できるかといわれると、なかなか難しいです。

 

自分の好きなスノーボードで世界中を飛び回り、多くのことに挑戦している毎日がすごく楽しく充実していて、いまは別の人生は考えられません。

 

でも、最終的に、リミットがきて子どもがいない人生だとしても、いまできるすべてのことをやっているつもりなので、結果も受け入れられるんじゃないかなと思っています。

 

── 「やりきった」と思えることで人生の納得感が違ってきますね。

 

竹内さん:「自分はどうしたいのか」「何を求めているのか」という思いとつねに向き合いながら、どう生きたいのかを決めていく。

 

これまでいろんな失敗もして後悔もたくさんありますが、それでも「やりきった」と思えるほうがいいし、これからも私のなかで大切にしたい信念です。

 

── シビアな現実として、次は出産できる体のリミットを突きつけられる時期がやってきます。どんなふうに考えていますか?

 

竹内さん:そうですよね。もちろん意識していますし、産むなら早いに越したことはないんだろうなとも思っていますが、いまは40代で出産する方もたくさんいますし、世の中の固定観念もどんどん変わってきています。

 

この先、どうなるかはまだわかりませんが、少しでも猶予を伸ばすために、規則正しい生活をして、体をしっかりコントロールして「産める体づくり」を心がけていきたいです。

 

 PROFILE 竹内智香さん 

1983年生まれ。北海道旭川出身。広島ガス所属。女子スノーボードアルペンの第一人者としてソルトレークから北京まで、6回のオリンピックに連続出場している。 2014年の冬季ソチ五輪では銀メダルを獲得。現在は、選手としての活動にとどまらず、後進の育成やスノーボードの開発、地域貢献など、精力的に活動している。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/竹内智香