「すごく後悔していることがある」
一方で「依存されることも多い」と話す志村さん。震災直後から、子どもを亡くした母親からの相談を受けてきましたが、電話を一度切ってもまたすぐ電話がかかってくる状態なのだそう。
「3.11の前日や当日は眠れません。でも…」
そこまで子どもや母親の感情を受け止める理由を、志村さんはこう続けます。
「みずから命を絶たれるよりは、怒りをぶつけてもらったほうがいいんです。震災後からサポートをしてきた家庭のお母さんが震災から10年後に亡くなってしまって。『もっとできることはなかったのか』と、今でも大きな後悔が残っています」
その母親は、震災直後にうつを発症し、PTSDを抱えていることも判明。そのうえ、子どももPTSDを抱えていました。移住当時は周囲に友人もなく、母親と子どもは孤立状態にありました。
志村さんが支え続けるなかで、親子ともに精神状態に安定が見られたため、サポートを終了しましたが、それから何年後かに、母親の訃報が志村さんのもとに届いたそうです。
「残された子どもたちは事実を受け止められず、こころをブロックした状態でした。今は子どもたちを見守りながら、グリーフケアを行っていますが、お母さんのことはすごく後悔しています。
私は、家族を亡くした子どもとはいつまでもつながると決めているんです。でも、たとえ震災で家族が亡くなっていなくても、震災から10年経つ頃にみずから命を絶つ人がいます。原因はほとんど震災によるうつ病ですが、国の災害関連死の対象にはならず支援も受けにくくなります。
家族を亡くしても亡くしていなくても、サポートした人たちはどんな形でもいいから関わり続けていかなければと、改めて強く思っています」
夢のために買った海外の土地を売り「こころスマイル」の土地を購入
一度壊れたこころは、継続的にケアをしていかなければ治すのは難しい──。
志村さんは、石巻市でこころのケアを開始後、震災前まで神奈川で経営していた会社を閉じました。現在は、家族を亡くした子どもや母親たちのこころのケアに専念しています。
「心身ともに健康な大人だったら、何か大変なことがあっても自分で何とかできるかもしれない。でも、子どもや高齢者、それにこころが深く傷ついた人たちはどうすることもできません。目の前の事実を知った今、以前のように利益を求めることだけはできない。
会社を立ち上げてから10年、もっと稼ぎたいと仕事が波に乗っていた頃に震災が起こりました。当時、私は44歳でしたが、50歳までに海外で家を買って隠居生活を謳歌しようと思っていたんです。実際、海外にゲストハウスを建てる予定でした。
でも、大きなショックを受けて、声が出せなくなった子どもや女性のために何かできるのだったらやっぱりそちらに力を注ぎたい。だから、海外にゲストハウスを建てるために買った土地を売って、活動に必要な公園を購入しました。
震災で、家族や家など多くの物を失い、さまざまなことを諦めてきた子どもたちに『夢は叶う』ことを、言葉ではなく、実現することで伝えたかったんです」
「ちなみに…」と、志村さんは穏やかな表情でこう続けました。
「以前もっていた私の海外での夢は、実力さえあればいつかは叶えられると根拠のない自信もあるんです(笑)」