東日本大震災の日、大きな津波が起きた宮城県石巻市。神奈川を拠点に海外でもイベント企画や輸入雑貨の仕事をしていた志村知穂さんは、震災後、親を亡くした子どもや子を亡くした母親の「こころのケア」を行ってきました。2011年3月11日からの12年間を振り返り、「ひとつだけ大きく後悔していることがある」と話します。
携帯電話代が月30万円にも
「うちでサポートをするのは、行政などの支援からこぼれ落ちた子どもがメインです。PTSDや不登校も親を亡くしたことが原因で、成長とともにこころの傷が深くなり、生きることを諦めようとする子も少なくありません」
神奈川で会社を経営していた志村さんは、震災後すぐに「必要に迫られて」支援活動を始め、3か月後には石巻市に移住。子や母のこころのケアを行う一般社団法人こころスマイルプロジェクトを立ち上げ、不登校の子どものための居場所づくりや子どもを亡くした母親のための会の運営などを行っています。
24時間、365日体制といっていいほど支援に全身を注ぐ志村さん。震災当時、学校や行政、子どもや母親たちとの連絡手段を携帯電話にしていたことで、電話料金が最高で月30万円かかったときもあったそうです。
「当時は格安スマホもなくて…。それでも携帯電話は必須でした」
また、児童クラブを立ち上げて不登校の子どもたちに遊びや学習の場をつくったり、子どもや母親たちの話を聴いたりするなかで、「こころのケア」の必要性を痛感。当時、志村さんに専門的な資格はなかったものの、一緒にご飯を食べたり、学校への送迎をしたりして、一人ひとりの気持ちに寄り添ってきました。
「子どもも大人も、震災によるPTSDを発症していることがほとんどで、家族を亡くした人が多かったんです。たとえば、震災直後に不登校の母親のための会を開いたときには、参加した10人中7人が震災でわが子を亡くしていました。当時、子どもを亡くした親のためのサポートはなく、家でお母さんが泣き暮らしている状態でした」