自分を欲してくれる局はあるのかな

馬場ももこ

── しかし、50社の面接を受け続けていくのは、精神的にもかなりハードかと思います。気持ちが折れそうになったことはないですか?

 

馬場さん:何度もあります。私は面接とか本番に弱いですし、お腹も痛くなっちゃうんですよ。うまく喋れなくて、帰り道に泣いた日もありましたね。

 

それでも、最終面接には15社くらい進んだのかな。ただ、書類選考で落ちるより、最後の2人、3人まで残った時点で落とされるほうが、けっこうなダメージでした。もう、誰が私を必要としてくれるんだろうって。アナウンサーを諦めようと思ったことは1回もないですけど、今年は無理かもしれない。本当に自分のことを欲してくれる局ってあるのかなって、何度も思いました。

 

── それでも諦めなかったのは。

 

馬場さん:アナウンサーって、諦めなければなれると思ってたんです。放送局で働く人は、何かのタイミングで他の局に移ったり、結婚や家庭の事情で退職したり、人がいなくなるタイミングがある。そこで、新たに誰か採用するとなったときに、会社の人事会議などで、「今回はこういったアナウンサーを採りたい」って、ある程度人物像を立てるはずだと。面接は競争ではなく、会社が求める人物像と、応募してきた人がマッチしたかどうかだって、新潟のアナウンススクールの恩師に言われたんです。

 

だから、いつか自分のことを必要だと思ってくれる局に出会えるだろうなって思いながら、続けていました。人格を否定されているわけでもないしって。

 

あと、自分で「夢ノート」というものを書いていたんです。「夢ノート」は、自分が思っていること、感じていることを描くノートで、「今日は面接でほめてもらえて嬉しかった」とか「こんな人生を歩みたい」といった、気持ちが前向きになれるようなことを書き出しているノートです。面接も自分との勝負だと思っていたので、いかに自分のモチベーションを維持できるか。精神力を高められるか。

 

── 常に内省されていたのですね。

 

馬場さん:周りの環境にも助けられました。挫けそうになったとき、いつも思い出すのは教頭先生の言葉です。「君はアナウンサーになったほうがいいね」という言葉を常に胸にしまっていました。また、家族もずっと応援してくれていましたね。父は「また落ちたんかー」とか言いながら、新潟駅までいつも車で送り迎えしてくれたんですよ。「また落ちるかもしれないけど、まぁ頑張んなよ」って。母もずっと応援してくれましたし、いつも、絶対的な味方がいたのは本当にありがたかった。

 

節目、節目にいつも助けてくれる人がいて、最後まで諦めることなく、自分が進みたい道に進めたことは、本当にありがたいと思っています。

 

PROFILE 馬場ももこさん

1991年生まれ。新潟県出身。佐渡テレビ、テレビ金沢でアナウンサーとして活躍。2019年4月からセント・フォースに所属し、フリーアナウンサーとして活躍中。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁