「新幹線・飛行機・バスを駆使して全国に面接に行きました」。書類選考80社、面接50社に及ぶ就職活動を経て、現在はフリーアナウンサーとして活躍する馬場ももこさん。周囲はミスコン経験者やスポーツに秀でた人ばかりでしたが、それでもアナウンサーの夢を1度も諦めなかったと言います。(全5回中の1回)
北は青森から南は佐賀まで…
── 馬場さんは、小学生のころからアナウンサーの仕事に興味を持っていたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
馬場さん:小学校5年生のときに、たまたまキャンプファイヤーの司会を任されてやってみたら、すごく褒められたんです。教頭先生がわざわざ来てくださって「馬場さん、司会とてもよかったね。君は声も通るし、将来はアナウンサーになったらいいね」って仰ってくださって。今まで、そんなこと考えたこともなかったので嬉しくなっちゃったんです。それからですね。
── その後、大学生になって、アナウンサースクールに通われたそうですね。
馬場さん:二つのアナウンサースクールに通っていました。フジテレビの「アナトレ」と、新潟にあるマンツーマンで先生が教えてくれるところです。大学は東京の大学に通っていて、新潟は、帰省とか長期休みのタイミングで受講していました。
「アナトレ」は、私がいたときは、ミスコンに出ている方や、部活やスポーツで長けている人など、自分の特技を持っている人ばかりだったので、みなさんキラキラして眩しくて、眩暈がしそうでした。
他にも、大学1年生から通っている方や、関西など遠方から来ている方もいて、みんなの意気込みを感じましたね。
── 就職活動は、たくさんの会社に書類を送ったそうですね。
馬場さん:80社に書類を送って、50社面接に行きました。面接は、北は青森、南は佐賀まで、全国津々浦々です。当時は、世の中にスマートフォンが出てまもなかったので、今のように電車の乗り換えを検索するのも慣れてなかったんです。それに、交通費は親も援助してくれていましたが、親にも申し訳なくて、なるべく格安バスで面接に行っていました。
途中から格安の飛行機も利用しましたが、宿泊代を浮かすためにスーパー銭湯で朝まで過ごすこともありましたよ。
あと、私は東京や大阪、仙台などキー局は受けてないんです。子どものころから、地元新潟に根づいた番組を見て育って来たので、地域密着型の会社に携わりたいと思っていて。あと、東京のテレビ局を受けることへの意識が湧かなかったんです。身の丈に合わないかなと、自分のことは一番わかっているので…。地方局に絞って対策を練りたいなと思っていました。