「まったく戦力になりませんでした」と東日本大震災当日を振り返る、テレビ東京アナウンサーの狩野恵里さん。『モヤモヤさまぁ〜ず2』出演で注目を集め、現在は『昼サテ』など報道番組で活躍していますが、当時は新人で何もできなかったといいます。命を守る行動を呼びかける立場として今伝えたいことなど、お話を聞きました(全4回中の1回)。

 

テレビ東京・狩野恵里アナウンサー
いつも明るい笑顔が印象的な狩野さん

一瞬にしてパニックに陥った街を呆然と見ていた

── 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生したときは、外出先にいらしたそうですね。

 

狩野さん:当時はアナウンサーとして、まもなく3年目を迎えるころ。私は3時からの仕事のため、東京・新橋のナレーションスタジオに向かっていました。スタジオのあるビルに入ろうとした瞬間、ガタガタガタッと急に揺れて…。

 

聞いたことがないようなガラスの振動する音、周りの人の悲鳴、クラクションを鳴らして止まる車──世の中が一瞬にしてパニックに陥っているのを目の当たりにしました。何かに捕まっていないと転んでしまいそうな揺れと、窓ガラスがすべて割れて降ってきそうな音に危険を感じ、とっさに建物の中に入りました。

 

── そこから、どうされました?

 

狩野さん:予定していた仕事は「今日は収録している場合じゃないですね」となり、会社に電話したところ「戻れる人は、会社に戻ってきてください」と言われ、社に戻りました。

 

その時点では、まだ津波の情報は入っていませんでしたが、報道フロアでは「ただごとではない」と、緊急特番の準備が進められていた状況です。大浜平太郎キャスターをはじめ、報道部のデスクたちがリレーし、24時間近くの生放送。

 

少しでもできることはないか?と思うものの、新人の私は正直、まったく戦力にならず、「緊急で入ってきた情報を読んで」と言われることもなく、ただ立っていることしかできませんでした。

 

テレビ東京・狩野恵里アナウンサー
「まだ新人で、生放送は2〜3分のコーナーや5分ほどのスポーツニュースの経験しかなく、何もできませんでした」と苦い思い出を語ってくれた