「毒親だったかも」と子どもとの向き合い方を変えた
── 当時、お子さんは中学生だったそうですが、そんなママを見てどんな反応でしたか?
水野さん:実は、自分の勉強が忙しすぎて、子どもの中学時代はほとんど構っていないんです。学校行事もまったく参加できませんでしたね。入学式は、大学のオリエンテーションと重なったので、私の姉と祖母に託しました。卒業式はコロナ禍により、保護者の参席不可で。
保護者会にも行けなかったので、中1のときの担任にはまったくお会いできず…。息子には「少しはオレに気を遣え」と、嫌味を言われたこともありますが(笑)、実は“あえて”構いすぎないようにしていた、というのもあって。
── それはなぜでしょう?
水野さん:中学受験のときハッパをかけすぎてしまい、ちょっと毒親気味だったかもしれない、という反省からです。
当時、私の心境としては、これだけ手厚い教育環境が与えられて、3食きちんと出てくる恵まれた生活なのだから、しっかりと勉強をして社会にお返しできる人間になってほしいという気持ちがあり、つい関わりすぎてしまって。
── まだ理解するのが難しい年齢かもしれませんね。反発はなかったですか?
水野さん:受験が迫るほどに反発が増して。振り返ると、小学生の子どもには求めすぎというか、ちょっと酷だったなと。
考えてみると、自分の子ども時代と重ねてしまった部分がありました。私は3人きょうだいだったのですが、弟が私立に通っていたこともあり、お金のかかりそうなスキー教室などは、「行きたい」と言い出せず、我慢していたんですね。
だからつい、「恵まれた環境に感謝をしてほしい」という思いが強く出てしまったのかもしれません。
その反省を踏まえて、子どもが中学校に入ってからは、勉強についてはあれこれ言うことはやめ、見守ることに徹してきたつもりです。
── とはいえ、どんなに忙しくても、お子さんのお弁当と、毎日の夕食は欠かさず作っていらしたとか。インスタグラムに投稿されているお弁当を見ると、彩り鮮やかで栄養バランスに配慮され、深い愛情を感じます。
水野さん:「今日食べるものがその人の10年後を作る」という考えから、バランスよく栄養のある食事を作って食べることを大切にしています。子どものお弁当を作るときも、「このお弁当が彼の人生を作るんだ」と思って続けています。
PROFILE 水野真紀さん
1970年生まれ、東京都出身。1987年「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞。NHK朝の連続テレビ小説「凛凛と」で芸能界デビュー。初代「きれいなおねえさん」として、松下電器(現パナソニック電工)のCMに起用され、大ブレーク。以降、ドラマやCMなどで活躍中。48歳で聖心女子大学文学部教育学科に編入学し、50歳で幼稚園教諭一種免許を取得。52歳には保育士試験にも合格。
取材・文/西尾英子 写真提供/水野真紀