初代「きれいなおねえさん」として人気を博し、数々のドラマやCMに出演してきた女優の水野真紀さん。48歳で大学に編入し、幼稚園教諭免許を取得して話題となりました。「社会にお返しがしたい」という思いで始まったという水野さんの挑戦について、お話を聞きました(全5回中の1回)。

 

43歳で「人の役に立ちたい」と思い立ち48歳で大学生に

── 48歳のときに聖心女子大学文学部教育学科に編入学し、幼稚園教諭の免許を取得されました。挑戦しようと思ったきっかけを教えてください。

 

水野さん:人生の折り返し地点を迎えた43歳のころ、「この先、私はどんなふうに生きていきたいのだろう」と考えるようになったんです。自問自答を繰り返し、湧き上がってきたのが、「人の役に立つことがしたい」という思いでした。

 

振り返ると、たくさんの方に親切にしていただき、こうして育てられたからこそ、今の私がいる。そのことにあらためて感謝しつつ、今度は自分が恩返しをする番だと考えました。

 

 そんな思いを抱くようになったきっかけのひとつが、若い頃に作詞家の阿木燿子さんからいただいた言葉です。「自分が良くしていただいた分、年を取ったら若い方に還元してあげればいいの」。その言葉にも背中を押され、人生の後半戦は、社会に還元していこうと決めました。

 

──「教育」をテーマにしたのは、なぜだったのでしょう?

 

水野さん:私は16歳で芸能界に入り、なにもわからないところから教えを受け、俳優として育てていただきました。プライベートでも、子育てを通じ、子どもは環境や教育次第で大きく成長すると実感していました。このような背景から、人の人生に大きな影響を与える「教育」、そして「人が育つこと」について関心があったのです。

 

水野真紀さん
短大に通っていた頃、弟さんとのツーショット

そこで、大学で教育を総合的に学ぶことで、人生後半戦の支えに繋がる「手がかり」を探したいと考えたんです。

 

そんなとき、聖心女子大学の文学部に編入制度があることを知りました。実は、聖心は現役時の受験予定校のひとつでした。さかのぼると中学生の頃、氷室冴子さんの人気小説『クララ白書』シリーズにすごくハマり、シスターのいる学園生活に憧れを持っていたんですね。

 

──『クララ白書』とは懐かしいです!ミッション系の学園生活が生き生きと描かれ、当時、女子たちが夢中で読んでいましたよね。表紙のイラストもすごく可愛くて。

 

水野さん:共感してもらえて嬉しいです(笑)。

 

受験の意思を固めたものの、仕事の兼ね合いで、挑戦するタイミングがなかなか掴めず、何年も募集要項を眺める日々が続きました。自分のわがままで周りを振り回したり迷惑をかけたりすることだけは避けたかったので、仕事がひと段落つき、子どもが中学受験を終える年度に「今しかない!」と受験。無事に合格しました。