20代のころは、地方競馬の騎手として活躍していた競馬評論家の赤見千尋さん(45)。最近は女性ジョッキーの活躍も増えていますが、当時は性別ゆえの苦労もあったようです。厳しかった養成所時代から、引退後の生活まで聞かせてもらいました。
データではなくストーリーを
── 元騎手とあって赤見さんの競馬予想は的中が多いですか?
赤見さん:「あまり当たらないね」とよく言われます(笑)。
というのも、私は“馬券派”ではなく“ロマン派”の解説者だからです。
馬券重視の人は、過去のデータを緻密に分析して、より高い確率の馬を予想しますが、私はドラマ性を重視します。
関係者への取材もしますが、この馬の血統はどの馬と馬をかけ合わせたとか、調教師の調教がどれだけ苦労したとか、騎手の下積みが長くて…。
などのストーリーを重視するので、レースの結果と結びつかないこともあります。
京都の舞妓さんになりたかった
── 裏方の苦労も知っているからだと思いますが、騎手になろうとしたきっかけを教えてください。
赤見さん:地元(群馬県藤岡市)の中学に通っていたときに、高校には行かず、京都の舞妓さんになりたいと思っていました。
ところが両親に反対されて。高校には行ってほしいとのことで通いましたが、ある日たまたま、競馬のレースに感動して騎手を目指すことにしました。
武豊騎手がいちばん人気の馬に乗っていたレースでしたが、別の馬が勝ち、その騎手が涙を流しながら喜んでいる姿に心打たれました。
両親は乗馬クラブにも通わせてくれて、高校卒業後に地方競馬の騎手などを養成する地方競馬教養センターに入所しましたが、厳しすぎて1日で辞めようと思いましたね。