東大・学生時代には会社を3社立ち上げ、数々のミスコンに出場しグランプリを受賞。さらに、外務省からのオファーでイタリアに派遣。コスプレパフォーマーとして出演するなど華々しい活躍をしています。しかし、「東大ブランド」は良くも悪くも影響を受けてしまうこともあるのだとか。
自分発信のものはほとんどなかった
── 鈴木さんは、学生のころからたくさんのサークル活動や趣味、ミスコンテストにも出場。学生時代には、3つの会社を起業されています。さらに、現在は本業で声優をしながら、ライフワークとして忍者としても活躍されています。その原動力はどこからくるのでしょうか?
鈴木さん:好奇心がもともと強かったからでしょうね。ただ、自分から「これがやりたい!」と言って始めたことってあまりないんですよ。
たとえば、大学のときにダンスサークルやコスプレサークルを立ち上げましたが、これは、仲間がやろうと言い出した話をスルーせずに、本気で取り組んだ感じです。
普通は、「これやったらおもしろそうだね」と話が出ても、「そうだね」で、終わることって多いと思うんです。でも、私は「すごいですね。私やります!」「できました!」みたいな感じでどんどん進めちゃう(笑)。
── 本業は声優に、忍者はライフワークとして活動されていますが、こちらも人からの影響ですか?
鈴木さん:声優は、子どものころから憧れはありましたが、現実的には厳しいだろうと諦めていた時期もあったんです。それに、声優の養成所は10代から通う人が多く、すでに20代になっていた自分には年齢的にも厳しいかなって。
でも、ある日、私の年上の友達が俳優養成所に通い始めていると聞いたんです。そこで刺激を受けて、私もチャレンジしよう!と決めました。
忍者も、子どもの頃から興味がありました。
大学生のときに、『さんまの東大方程式』というテレビ番組に出演する機会があって、さんまさんに「将来何になりたいんや?」と聞かれて、思わず「忍者になりたいです…!」と答えたんです。当時、就職活動も考える時期でしたが、これと言ってやりたいことが浮かばず、なぜか子どもの頃に思っていた夢が口から出たんですよね。
テレビでそのやりとりが放送されると、たまたま忍者をライフワークとして活動されている方が番組を見ていたようで。後日、その方から忍者としてのオファーいただきました。今もそのご縁で、忍者としての活動をしています。
自分がゼロから思いついて、自分発信で始めたこともあります。でも、ほとんどは誰かの声に後押しされて、進むことがほとんどですね。