オグシオブームで一躍、知名度を上げた元バドミントン選手の潮田玲子さん。引退まで長年、競技人生を続けてこられたのにはある理由があったそうです。負けず嫌いの性格を理解していたお母さんが潮田さんにかけた言葉とは──。
「お腹が痛い」とズル休みも
── 潮田さんがバドミントンを始めたのはいつからでしたか。
潮田さん:母が趣味で、ママさんバドミントンにハマっていた時期がありました。私が2〜3歳のころ、地域のバドミントンサークルに一緒に連れられて行っていたようでしたが、そこで始めたわけではないんです。
母が習っていた先生がジュニアのチームも持っていたのですが、近所のお友だちが「体験教室に行かない?」と誘ってくれて、小学1年生のときに一緒に行ったのがきっかけです。親戚中を探してもアスリートは私だけ。親にしなさいと言われたこともなかったです。
── そこから長いキャリアが始まりましたが、練習漬けの日々だったのでしょうか。
潮田さん:週に4回練習があったのですが、放課後も遊びたい日は「お腹が痛い」と言ってズル休みしたこともありますし、週末に家族で出かけるときも休んでいました。スパルタの英才教育ではまったくなかったです。
小学校2〜3年生になって、試合で勝てるようになるとだんだん楽しいなと思い始めました。チームには小学1年生から中学3年生までが在籍していて、みんなで練習するのが楽しくてどんどんのめり込んで行きました。
── バドミントンが盛んな地域だったんですか。
潮田さん:全然そんなことはなく、バドミントンのチームもひとつしかなかったと思います。恵まれていたと思うのは、先生の教えが素晴らしく、全国区になるような子を輩出していたのでレベルが高かったこと。とは言っても、「将来オリンピックを見据えて」なんてことはなく、習い事のひとつでした。
── 小さいころになりたかったもの、覚えていますか。
潮田さん:小学校6年生のときに将来なりたいものとしてバドミントン選手の絵を描いたのが記憶に残っています。
── 本当に夢を叶えましたね!
潮田さん:そこまで深く考えてはいなくて、単に「バドミントンが好きだったからバドミントン選手になりたい」というざっくりとした思いで描いただけだったと思います(笑)。
有名チームから勧誘も「まるでひとごと」
── 中学、高校時代も全国優勝を果たしました。
潮田さん:正直、自覚はあまりなかったです。大学でも、キャンパスライフを楽しみながらバドミントンができたら良いなというイメージでいたのですが、それとは相反するように結果が出て、ジュニアのナショナルチームに選出されて。
世界にも行けるとなったときも「海外に行けるんだ、やったー!」って(笑)。強いチームの監督から「娘さんを必ずオリンピック選手にしますんで」と言って誘われたそうなんですが、わが家は「オリンピックだって〜、すごいね」なんて感じで、意識は低かったんです。でも今思えばそれくらいのテンションだから長く続けられたのかなって。
── まるでひとごと!(笑)
潮田さん:両親は割とフラットな考え方でした。常に、「辞めたかったら、辞めたらいい」というスタンス。でも普通に考えて、わが子が何かのスポーツで全国優勝するレベルで、いろんなところから勧誘が来たうえに、オリンピックなんて言われたら親は鼻息荒くなりませんか!?私も母親になって改めて思いますけど。
── おっしゃる通りです。ご両親はどんな思いだったんでしょう。
潮田さん:「期待してなかったの?」と聞いたことがあったんですが、「めちゃくちゃ期待してたけど、あなたの人生だからね」と言っていました。「だから私は最後まで頑張ることができたんだ」と今なら思います。これで親からプレッシャーがあったら息切れしていたと思うんです。
18歳で親元を離れて、福岡から大阪に社会人選手として行きました。全国レベルとは言っても高校を卒業したばかりなので、やっぱりプロの選手とはレベルの差があって。同期というのは小椋さんだけでした。
練習についていくのも精一杯で、ホームシックもあるし、全然勝てなくて気持ち的にもすごくツラかったんです。母には電話をして八つ当たりのように、「私はこんなツラい思いをするために大阪に来たんじゃない!」ときつく言ってしまったことも。
── お母さんの反応は?
潮田さん:「辞めたいなら辞めたら。お母さんのためにしてもらってるわけじゃないから」って。そう言われると私は「そんな簡単に辞められるわけないじゃん!」と怒って、一方的に電話を切る。たぶん、私の性格を分かっていて転がされていたんだと思いますけどね。
── すべてお見通しと。
潮田さん:注目もされていたんですが、引退するまでの10年間は正直、苦しかった。その場面も母は見ていました。最後の最後、やっと引退を決断したとき、母なら「お疲れ様、ゆっくり休んでね」と言ってくれるだろうと思っていたんですが…。
引退を伝えたら、「え!?辞めるの?まだあと1年できるよ!まだ見たかったのに!国内だけでも!」って(笑)。
──最後の最後に、これがお母さんの本心ですね!
潮田さん:いちファンとしてずっと応援してくれていましたね。
── お父さんはいかがでしたか。
潮田さん:父は、私が中学のときから単身赴任で関東にいたので、私が辞めたいと言ったときも「玲子とまた一緒に住めるの?嬉しい〜!」みたいな(笑)。バドミントンについてあれこれ言うこともなかったですね。
── ご両親ともに、素敵です。
潮田さん:今、自分のお手本にもなっています。わが子にはどうしても期待してしまって、プレッシャーもかけてしまうんですけど。私は両親がこんな感じで接してくれたから自信を持って戦えたんだと思っています。
引退までの苦しい道のり
── バドミントン以外の道は考えたことはなかったんですか?
潮田さん:高校生のときは考えていました。中学3年で全国優勝して、推薦で高校に入って。注目もされているのに高校1年生のインターハイで思うような結果が出なくて。もう自分のピークは終わってしまったのかと思っていました。高校2年生になると、もう進路を考える時期になります。トップでやるよりは、大学では次の人生を模索したほうがいいんじゃないかと思うこともありました。
そのあと、個人で全国優勝したのをきっかけに世界が開けた感じがありましたが、でもずっとオリンピックを目指していたわけではなく、社会人2年目くらいからようやくオリンピックを目指して頑張ろうと決意したんです。
── 観ている側からすると次のオリンピックまでの4年はあっという間ですが、当事者のアスリートの方にとっては違いますよね。
潮田さん:当時はものすごく長く感じていました。競技を離れて10年経つ今は、母が言っていたようにナショナルチームでなくても、国内でプレーしたら良いんじゃないかと言うのもわかるんです。
でも当時は、ナショナルチームのトップで世界と戦えなかったらやる意味がないというほど、必死に戦っていました。ロンドンオリンピックが終わって、結婚やこれからのキャリアについても考えたタイミングでもあったのですが、何よりもう心が疲弊してしまっていました。
全て4年単位で考えるんですが、ロンドンオリンピック後は「あと4年は頑張れない」という状態で。北京が終わってからロンドンを目指していた時期もすごく長かったです。
── 引退して感じたことはなんでしょう。
潮田さん:それこそ引退した翌日に、「次の日へのプレッシャーがない」ということを感じました。もちろん今でも、「明日、お弁当作らなきゃならないから寝坊できない」とか、そういうのはありますけどね(笑)。明日へのプレッシャーがないことに心からホッとしたんです。現役時代は、それだけ毎日、気持ちが張り詰めていたんだと思います。
── 長年続けてこられたのは、何が支えとなっていたんですか。
潮田さん:自分の強い意思ですね。キャリアを積めば積むほど、期待に応えられなくて、何度も苦しくて辞めたいと思うことが増えていきました。でも今、辞めてしまったら結局逃げたことになって、のちのち後悔することもわかっていました。もちろん、家族やチーム、監督の支えは大きくありましたが、やっぱり最後は「自分がやりきるまで」と思っていましたね。
北京オリンピックでメダルが取れなかったときに引退をリアルに感じました。国民の皆さまの期待を裏切ってしまったし、これだけ準備もして、努力もしたけれど叶わない夢があるというのを痛感した大会になってしまって。
そこからさらに4年キャリアを続けるか、本当に悩みました。でもそれこそ今、引退したら一番得意だった武器がなくなってしまって、これからどうやって生きていこうと思ったんです。“オグシオ”ブームで注目もされていましたが、こういうのは一過性で終わってしまう。
オリンピックのメダリストでもないし、中途半端に終わってしまうなら、もう4年苦しいというのはわかっていたんですけど、もがいたほうが人間的にも成長ができるし、セカンドキャリアを考えて自分のなかで気持ちに整理をつける4年間にしようと。
2012年のロンドンオリンピック後に出場したジャパンオープンが終わって、「もうこんなに頑張ったから」とようやく引退を決断できました。振り返ってみても、常に迷いながらも強い意志を持って進めてきたバドミントン人生だったと思います。
PROFILE 潮田玲子さん
1983年生まれ福岡県出身。幼い時からバドミントンを始め、全国中学生大会女子シングルス優勝。小椋久美子さんとの“オグシオ”ペアで、女子ダブルス 全日本総合選手権大会を2004年〜5年連続優勝、2007年世界選手権女子ダブルス銅メダル、北京オリンピック5位入賞。2009年〜池田信太郎さんとの“イケシオ”ペアで全日本社会人大会、全日本総合選手権大会で優勝。2012年混合ダブルスでロンドンオリンピックに出場、同年9月に現役引退。2021年〜一般社団法人Woman's ways 代表。
取材・文/内橋明日香 写真撮影/北原千恵美 写真提供/潮田玲子