「海女になろう」それは突然やってきました。京都大学の大学院で学び、高校の生物教師をしていた35歳の本田藍さん。“何かおもしろいかも”と直感を胸に海女の世界に飛び込みます。人生のドキドキが聞こえてきそうな彼女のライフスタイルに迫ります(全2回中の1回)。

 

昔の海女の衣装に身を包んで水族館でデモンストレーションしたときの貴重な一枚

生徒の進路指導で職業を調べていたのがきっかけ

本田さんは奈良女子大卒業後、京都大学大学院で学んだのち、2016年から、28歳で高校教師となって生物を教えていました。

 

仕事は忙しかったものの、周囲の人にも恵まれ、やりがいを感じる毎日でした。

 

当時の趣味は「スキンダイビング」。スキューバダイビング器材を使用せず、自分の息だけで潜水する、いわゆる素潜りです。

 

週末は練習のため、学校がある滋賀から大阪まで通っていました。

 

「高校では進路指導担当でした。だから時間があれば、生徒たちの将来の選択肢として、どんな職業があるかをいろいろ調べていました。

 

あるとき“海の近くで働いたら、スキンダイビングの練習もたくさんできるんだろうな”と、ふと思いました。

 

漁で獲ったアワビ。ベテランになるとこのカゴには入りきらないことも

そこから連想ゲームのように、“海の仕事って何があるんだろう?”、“よさそうな求人があれば進路指導の参考に把握しておこう”と思って、就職サイトを眺めていたんです」

 

たまたま漁業専門の就職サイトをチェックしたときに見つけたのが、福岡県宗像市が「地域おこし協力隊」の形で公募していた「海女見習い」の求人でした。

 

当時、本田さん自身は転職を考えていませんでしたが、「海女さんの求人ってあるんだ!」と驚いたそう。

 

同時に「もしこの仕事に就いたら、スキンダイビングをしながら働けるかも!」と、ピンときたといいます。

 

「でも、その頃の私は海女のことを何も知りません。実際に応募するにはハードルが高いと感じました。

 

そのときに思い出したのが、“最初からあきらめたらダメだよ、まずは挑戦してみよう”と、ふだんから私自身が生徒たちに伝えていた言葉だったんです。

 

“あれっ、これはまさにいまの私に向けられた言葉じゃない?”と、投げたブーメランが自分に刺さったような気分でした。

 

思いきって応募したところ、見事採用。2018年から福岡県宗像市に移住し、海女見習いとして働くことになりました。

 

まだ漁がうまくできない修行中はひたすら潜る練習をしていた

「教え子たちに“先生は来年で学校を辞め、海女になります”と伝えたら、みんなきょとんとして“アマさんってお寺でお祈りする尼さんのこと?”と聞かれました。

 

私の選択に驚きつつ、生徒たちは“頑張ってね”と応援してくれました。周囲の友人や知人には、わざとエイプリルフールに報告をしたんです。

 

みんなは嘘だと思ったようですが、ずっと見守ってくれていた高校の恩師だけは、その日がエイプリルフールだとわかったうえで引っかかりませんでした。私を理解してくれているんだと嬉しかったです」

 

交際していたパートナーも応援してくれ、本田さんが宗像市に移住してから入籍。遠距離での結婚生活を送っています。