レスリング選手やコーチとして華々しい活躍を遂げ、現在はアメリカで生活を送るダルビッシュ聖子さん。夫でメジャーリーガーのダルビッシュ有選手のシーズン中には「朝から晩までフル稼働」だといいます。5人のお子さんの子育てに奮闘する日々についてお話を伺いました(全3回中の2回)。

「長男の宿題がわからない」アメリカ生活の苦悩

── アメリカにはレスリングの指導者として来られたそうですね。

 

ダルビッシュ聖子さん:アメリカのナショナルチーム、日本でいう全日本のコーチとして雇われました。世代はシニア、ジュニア、カデットで、14歳から大人の方にレスリングを教えていました。カデットの監督からスタートして、ジュニアの監督になって、シニアのアシスタントコーチをしていました。

 

アメリカのナショナルチーム・ジュニアの監督時代に教え子に囲まれるダルビッシュ聖子さん(写真下段、水色のレギンスを着用)

── 海外で教える難しさはありましたか。

 

ダルビッシュ聖子さん:そんなになかったですね。オリンピックセンターで教えていたのですが、みんなアメリカの代表や国内上位の選手なので、すごく素直で貪欲。「なんでも吸収したい!」という感じで、とても教えやすかったです。

 

でも、私が全然英語を話せないままアメリカに行ったので、ジュニアの子のなかには、「何が言いたいの?」という態度をとってくる子はいました。でも私も中学生の頃、そうだったなって。

 

中学生の頃の韓国人のコーチとコミュニケーションが取れないことでイライラした経験があったのですが、そのコーチと長年一緒にいることで関係性がつくれることも知っていたので。気持ちをわかってあげたうえで、そんなことは構わず指導していました(笑)。

 

── 現地で生活するとなると日常の全てが英語ですよね。

 

ダルビッシュ聖子さん:学校で習う、中学・高校の英語レベルのまま、でもそこからずっとしていなかったのでほとんど忘れてしまっていました。最初のころは、まず耳がついていかないんです。文法や単語を知っていたとしても「え?今なんて言った?」って。ボソボソしゃべる方とか、とにかく早く話す方の英語も難しいです。

── 生活には慣れましたか?

 

ダルビッシュ聖子さん:普通に生活する分にはなんとか。スーパーでの買い物や、電話でのやりとりもだいぶできるようになりました。でも深い話は今でも難しいです。子どもたちのスケジュール管理も人数が多いので大変です。誰がいつどこでどんなイベントがあって、いつまでに先生にギフトを用意するとか。

 

お子さんたちと水族館を訪れたダルビッシュ聖子さん。水槽のシャチにみんな釘づけ!

── 先生にプレゼントを渡すんですか?

 

ダルビッシュ聖子さん:ホリデー前に、感謝の気持ちを込めて渡す習慣があります。このほかにもTeacher’s appreciation weekという、先生に感謝を伝える週があって、先生ごとに好きなもののリストがあります。この先生はお花が好き、チョコレートならダークチョコレートが好き、とか。

 

── 日本にはない習慣ですね。

 

ダルビッシュ聖子さん:先生にギフト!?って思っちゃいますよね。でもそういう雰囲気はこちらにはまったくないです。子どもたちにもすごく優しくていつも助けられています。

 

アメリカに来てすぐは、長男の宿題もわからなくて手伝えなくて。「One’s place, Ten’s place」と書かれていたのを見ても、なんのことかわからなくて。「Oneは1でしょ。Tenは10でしょ、で…何?」って。私の調べ方が悪かったのかもしれないんですが。

 

結局これは、「1のくらい、10のくらいはなんですか」という問題だったんです。でも当時は教えられなかったので「わからないので教えられません」と書いて持たせました。

 

きょうだいをおんぶする長男。背が高い!めんどう見の良さが伝わってきます

── 宿題を教えるのはハードルが高そうです。

 

ダルビッシュ聖子さん:「ママは教えられないから、学校でちゃんと聞いてきてね」と伝えていたら、息子はなんでもひとりでできるようになりました。

 

長男は今、フロリダの学校に通っているのですが、進学先の高校も自分で調べて、「ここなら寮があるから1年中いられる」と言って決めました。うちは夫のシーズンごとに場所を転々としていて、キャンプなどにも家族みんなでついて行っているんです。長男は野球をしたいので、練習ができなくなってしまうのを懸念して寮がある学校を探したんだと思います。

 

── 15歳でしっかり自立していますね。

 

ダルビッシュ聖子さん:うちはもう、夫のシーズン中は家族がチームとして動いています。朝の身支度も、長男がいたときは下の子のお世話を任せて、今は次男がその役割を担っています。

「うちは家族全員がチーム」

── 旦那さんのシーズン中は忙しいですよね。

 

ダルビッシュ聖子さん:夫は、試合が終わって帰ってくるのが23時過ぎ。24時になるときもあります。子どもたちはもう寝ているのですが、夫はそこから夕飯を食べて、体のケアをして。

 

夫は毎日コンサート会場に行っているような感じで、常に大観衆の中にいるので、気を鎮めるのにも時間がかかります。精神を整えてやっと眠れるのが2時くらい。そこから朝9時頃まで寝るので、起こさないようにしています。

 

── 子どもたちがいて、旦那さんを起こさないようにするのは大変そうです。

 

ダルビッシュ聖子さん:子どもたちが苦しくならないようになんとか静かに過ごさせたいので、私が動くしかない。今の家はありがたいことに、寝室とキッチンが近くにあって、夫が寝る部屋とは離れています。食事や身支度のすべてをこちら側で済ませることができて気に入っています。

 

朝起きて、子どもたちの朝ごはんやお弁当、水筒やスナックの用意をしているときも、何回も、何回もキッチンと部屋を往復して「みんな大丈夫?」って様子を見に(笑)。

 

去年の家は縦長の家で、キッチンから寝室まで走っても数十秒かかって大変でした。今はすぐ行けますよ。

 

庭に面しているドアの方にあらかじめ靴を用意しておいて、音が響かないように外に出ることもあります。

 

アスリート経験者として献身的に旦那さんのサポートをするダルビッシュ聖子さん(写真左)

── 旦那さんの睡眠時間を確保するためのアイデアがすごいです。

 

ダルビッシュ聖子さん:夫を見ていると、寝不足だと体調がガクンと落ちてしまうのがわかるので、そんなことで力が発揮できなかったら悔しいじゃないですか。特に言われたわけではないのですが、ずっと続けています。

 

── 1日のスケジュールはどんな感じですか。

 

ダルビッシュ聖子さん:私は常に家族の食事をきらさないように必死です。夫のシーズン中は朝、子どもたちを送って帰ってきて。そこで夫が起きてくるので朝食を用意します。

 

そのあとは食料を買いに行って、子どもたちの食事の用意をして。子どもたちの帰宅後には夕飯を食べさせてお風呂、歯磨き、それを全員分。だいたいそのような流れですね。

 

3歳の娘がなかなか寝てくれず寝かしつけに時間がかかるのですが、そこで寝落ちしないようにアラームをかけます。夫の登板以外は、チームの試合が半分くらい進むであろう時間に設定して、起きてから夫の食事を作るのですが、途中で一番下の赤ちゃんが泣くので、寝室とキッチンを往復します。

 

── 寝かしつけのあとに起きることがどんなに大変か…。

 

ダルビッシュ聖子さん:この前のシーズン中は1度だけ寝落ちしてしまったことがあったんですが、基本的に妊娠中もこのスケジュールで過ごしてきました。ナイターの場合は、必ず夫の登板を見てから寝かしつけに入りますよ。

 

でも去年から、自分のなかで生活改革をして、どんなときも自分のことを大切にするように心がけているんです。1日のなかで必ず自分の時間はつくるようにしています。

 

試合が終わる前に、夫から「今から帰るよ」と連絡が来て、地図をシェアしてくれるんです。だいたいどのくらいで家に着くかがわかるので、帰宅に合わせて最後の仕上げをします。

 

── 旦那さんとお子さんのメニューは違うんですよね?

 

ダルビッシュ聖子さん:そうですね。かぶってもいいものは同じものを出していますが、でもそんなに手が込んだものではないですよ。昔はもっと、「あれ作ろう、これ作ろう」とメニューがぽんぽん浮かんだんですが、子どもが増えていくにつれ、何を作っていいのかわからなくなってきました(笑)。

 

── 家事に子育てに、旦那さんのサポート。朝から晩まで頑張れるのはどうしてですか。

 

ダルビッシュ聖子さん:結婚した2人のゴールってなんだろうと考えたときに、どうやって最期まで一緒に幸せでいれるかだよねと話し合っているんです。それって、ひとりが犠牲になって、ひとりがラクをすることじゃないですよね。

 

夫はいつも、私が何をしたら喜ぶか、ラクになるか、幸せに思うかを考えてくれています。私が夫のシーズン中に頑張れるのは、彼がしてくれていることを知っているからなんです。シーズン中は物理的にできないから、私が代わりにする。

 

お互いの人生を尊重しながら、2人が幸せになる方法を考える。私も選手だったしコーチもしていたので、彼がプレーしやすく力を発揮できる環境を整えているだけです。うちは家族全員がチームなので協力して動いています。

 

PROFILE ダルビッシュ聖子さん

1980年生まれ、神奈川県出身。姉・美憂、兄・徳郁の影響でレスリングを始め、1999年の世界女子レスリング選手権で初優勝を果たす。以降、同大会で00年、01年、03年と4度制覇。カナダカップ、アジア女子選手権、全日本女子オープンレスリング選手権大会などで多数優勝。アメリカのナショナルチームのコーチも務め、現在はアメリカ・サンディエゴ在住、4男1女の母。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/ダルビッシュ聖子