抜けた床、宿直の連続で疲弊した職員の姿…「これはアカンわ」
── 谷村園長は滋賀県の職員を定年退職後、なぜ守山学園の園長になられたのですか?
谷村園長:園長になって5年目ですが、当時は、児童養護とか社会的養護ということを全然知りませんでした。県の職員時代は、障がいのある子どもたちの施設を担当することが多くて、障がい者施設での療育、お母さんに生まれた子どもの障がいを認知していただくための取り組みなどを長年やってきました。
そんな私が守山学園の園長になったのは、障がい者施設で働いていたときに親しくしていた学校の先生の存在があったからです。
その方は浄土真宗のお坊さんで、当時、守山学園の理事長をされていたのですが、「戦災孤児の方々を何とか助けたい」と私財を投げうって守山学園をつくられた浄土真宗の地元の住職さんと懇意にされていて、理事長をお願いされたそうです。課題が多く「困っているから来てくれ」と言われて、断れなかったという。
── それで、何もわからないまま園長になられたんですね。
谷村園長:そうしたら、守山学園に来た初日に、園舎の「床が抜けました」という報告があって、宿直の連続で職員が疲弊している姿も見て「これはアカンわ」と。それから勉強を始めて、お金の管理や人材の採用など改善も進めてきました。まだ新米です(笑)。
── 今はどんなお気持ちで園長のお仕事をなさっているのでしょうか。
谷村園長:乗りかかった舟だから一生懸命やる、と腹を括っています。いろいろ課題はあるので、頑張るしかないですね。
取材・文/高梨真紀 写真提供/守山学園