全摘した大腸も「漫画のために写真で残した」

── 25歳のときに、自身の闘病生活を描いた『腸よ鼻よ』の連載がスタートしました。きっかけはなんだったのでしょうか。

 

島袋さん:
発病から5年くらい経ったときに、担当編集の方から「闘病生活を漫画にしませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけです。リアルタイムではないので、『腸よ鼻よ』のエピソードは、当時のメモなどを見て思い出しながら描いています。

 

── どんな風に記録を残していたのですか?

 

島袋さん:
病気で何もできない自分がすごく悔しかったので、「いつか絶対漫画にしてやる」と決めて、病気の状況を文章で書いたり、参考になりそうな資料や写真なんかをガンガン保存していました。要はネタ帳です。

 

「いつか漫画にしてやる!」と入院中もあらゆる記録を残していた

大腸の全摘手術で切り取った腸もしっかり写真に残しました(笑)。当時の状況をツイッターで呟いたり、家族とLINEしていたので、漫画を描くときには、それらをさかのぼって記憶をたどったりもしました。

 

── 切り取った大腸を写真に残すとは…。クリエイター魂を感じます(笑)。

 

島袋さん:
さすがに医者も引いてました(笑)。術後もICUで酸素マスクをつけて心電図やらなにやら腕に管がついている状態で、「今、おもしろいこと思いついたぞ!」と。でも手が使えないからとどめておけず、もったいないことをしました…。

 

── 10年で10回もの手術を受けられていますが、「大腸の全摘出」の手術が一番ツラかったそうですね。漫画でも壮絶な様子が描かれていました。

 

島袋さん:
今思い出してもあれほどツラい経験はなかったですね…。麻酔から覚めると全身が激痛で息をするだけでガンガン痛む。62㎏あった体重が、一時は36㎏まで落ちたほどです。

 

全摘手術をすれば、入退院を繰り返す生活を終えられると思っていたのに、そこから別の病気が発症したのは誤算でした。

 

── でも、病気になった悔しさをバネにしたからこそ、あれほど弾けたギャグ漫画が生まれたのですね。

 

島袋さん:
語弊があるかもしれませんが「罹った者の特権」くらいに考えています。「転んでもただでは起きないぞ」、「絶対にお前で金儲けをしてやる!」みたいな(笑)。

 

病気はネガティブなことかもしれないけれど、やりようによってはポジティブにも転換できる。負けるものかという気持ちがモチベーションにもなりました。

 

私の場合、作品として昇華することができるので、漫画家になって本当によかったなと思っています。

 

PLOFILE 島袋全優さん

1991年沖縄県生まれ。漫画家を目指していた専門学校の在学中に潰瘍性大腸炎を発症。入退院を繰り返しながら、2013年に『蛙のおっさん』で漫画家デビュー。闘病体験をつづったギャグ漫画『腸よ鼻よ』が注目を集め、「次にくるマンガ大賞 2019 webマンガ部門」では第3位を受賞。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/島袋全優