1万人に1人といわれる難病「潰瘍性大腸炎」と闘う漫画家、島袋全優さん。みずからの闘病記をギャグ漫画に昇華させた『腸よ鼻よ』(KADOKAWA)は現在7巻まで発売されている話題作です。「絵を描く人になりたい」と漠然と考えていた少女は、どのようにしてデビューに至ったのか。そこには彼女の、努力を努力と思わないひたむきさと難病にくじけない前向きさがありました(全3回中の2回)。

 

美術系の専門学校に通いながら漫画家を目指していた島袋さん 『腸よ鼻よ01』第1話 ©︎島袋全優/COMICSMART INC.

高校では文芸部と美術部に入部

── 漫画家になりたいと思ったのは、いつ頃からでしょうか。

 

島袋さん:
漠然と「絵を描く人になりたいな」と思ったのは、幼稚園くらいの頃でしょうか。当時、大好きだった『セーラームーン』のイラストをよく描いていましたね。

 

中学生の頃には、毎日欠かさず四コマ漫画やショートのギャグ漫画を描き続けていました。家族や友だちに見せたり、友だちのリクエストで漫画を描いたり。喜んでもらえるのが嬉しかったですね。

 

高校生になってからは、絵がうまくなりたくて美術部に入部。文芸部の活動も掛け持ちして小説を書いていました。

 

── 漫画ではなく、小説ですか?

 

島袋さん:
漫画を描くには、物語を作る力はもちろん、それを描ききる力も大切なんです。

 

「こういう漫画を描きたい」と思っても、最後まで描ききれずに終わってしまうケースはたくさんあると思っていて。そうなるのが嫌だったので、勉強のために文芸部に入って小説を書きまくり、賞もいただいたりしました。

 

── 漫画家になるためのステップとして、小説を書いていたのですね。高校入学の段階で、すでにそこまで計画的に考えて行動できるのはすごくストイックです。

 

島袋さん:
ものすごい量を書いていたので、文芸部が発行している雑誌のうち、3分の1くらいが私の小説でした(笑)。

 

美術部の活動では、部費で漫画の道具を買わせてくれと顧問の先生とバチバチにやりあってましたね。展覧会で入賞すると部費が増えるので、賞を3つ取り、その実績を引っ提げて交渉しました。

 

── 交渉の仕方が優秀なビジネスマンさながらです(笑)。才能ももちろんですが、努力と行動力が半端じゃないです。

 

島袋さん:
「絶対に漫画家になりたい」という一心でしたね。

 

でも、漫画を描くこと自体が好きなので、たとえなれなくても、働きながら描いていければ幸せだな~と思っていました。

 

働いてお金を貯めてから漫画家になろうと思っていたので、高校卒業後は美術系の専門学校に進み、学費もバイトを掛け持ちして払いました。