バレリーナになるための日々から、畑違いの吉本新喜劇に入団した松浦景子さん。芸能の世界はそれまでにない見方がたくさん転がっていました。人情も注目度も悪口も段違いの居場所で、松浦さんが見たものとは?そしてまた、バレエの魅力に違った形で出合った“至福”についても聞きました(全3回中の2回)。
「コーヒーの淹れ方も知らず無愛想」ボッチだった新人時代
── 3歳からバレエ漬けの日々を送ってきた松浦さん。お笑いも大好きだったとのことですが、バレエとは正反対の新喜劇に入り、どんな日々を送られたのですか?
松浦さん:
もうショックだらけでした!予想以上の厳しいタテ社会で…。
新人は楽屋で先輩方のお手伝いをするのですが、バレエばかりやってきた私はまったく役に立ちません。先輩方全員分のお茶やコーヒーのセッティングさえできなかったんです。
着替えの手伝いにも苦労し、着物の着付け教室に通って必死で練習しました。
6人分の着付けをしたうえに、自分も着物を着る舞台があったのですが、もう目がまわる忙しさ。皆さん、出番直前に着替えるので、間に合うのかハラハラしました。
舞台の準備として必要なことが何もできない、そんな自分に大ショック。楽屋では自分の時間はいっさいなく、スマホにさわることもできませんでした。
── 先輩たちは、そんな松浦さんをどんなふうに見ていたのでしょう?バレリーナのお嬢さんが突然入団してきた、と驚かれたのでは?
松浦さん:
バレエをやっている子だとは誰もご存じなかったです。入った当時、私、本当にとんがっていて不愛想だったので、最初1、2年間は誰にも話しかけてもらえなくて。
誰もいないトイレやみんなが帰った楽屋でひとり、泣いてました。礼儀が大切な世界ですが、あいさつもろくにできない。
でも「舞台では、爪痕を残してやろう!」と目立つ動きをしたり、勝手にアドリブをいれたりして周囲には迷惑がられて。いまでも先輩方に「あのころはマジでやばかった」って言われます(笑)。
楽屋でひとりぼっちでいたら、大先輩の末成映薫(ゆみ)姉さんが「あんた、根性悪いなぁ~(笑)」って話しかけてくれました。
「このままやったらあかん」という私の心の芯の部分に、気づいてくれたんだと思います。
大きい姐さん(大先輩)が話しかけるなら、“この子は心に熱いものを持っているんじゃないか?じゃあ何とかしよう”という雰囲気になり、だんだん他の先輩方が声をかけてくださるようになりました。