フリーアナウンサーとして活躍中の駒村多恵さん。初めての取材は、長野オリンピックのリポーターでした。当初から、テレビ局のアナウンサーではなく、フリーアナウンサーとして活動をスタート。ここまで長きにわたり、駒村さんの活躍が続く理由とは(全5回中の2回)。

いきなり長野オリンピックのリポーターに抜擢!

── 駒村さんが初めてリポートのお仕事をされたのは、23歳と聞いています。アナウンサー未経験で、長野オリンピックのリポートもされたそうですが、どのような経緯だったのでしょうか?

 

駒村さん:
大学生の頃、人前で話す仕事に興味を持ち始めたんです。

 

小学生の頃テレビで歌を歌ったときに、芸能事務所の方からいただいた名刺をずっと保管していました。その事務所は、アナウンサーのお仕事もやっていたことを思い出し、思いきって事務所に連絡してみたんです。

  

事務所の方とお会いすると、テレビ局のプロデューサーさんを紹介してくださって、TBSでオリンピックのリポーターのお話をいただきました。23歳くらいのときです。

 

長野オリンピックのリポーターも経験しました

── はじめての仕事が長野オリンピック(1998年)のリポーターだったんですね。いかがでしたか?

 

駒村さん:
出番が少ないながらも、全力でやりきることができました。

 

今でも覚えているのは、試合後のインタビュー。メダルをとったスピードスケートの清水宏保選手に「今、何を食べたいですか?」と聞くと、「お母さんのお味噌汁です」というコメントが取れたんです。スタッフの狙いどおりだったので、本当に嬉しかったですね。

 

また、インドから一人で参加したリュージュの選手や、ジャマイカのボブスレーの選手にもインタビューしました。

 

私は、大学生のときアメリカ留学していたこともあって、当時は少し英語が話せたんです。直接英語でインタビューできて、あのとき留学すると決めてよかったと思いました。

 

また、試合会場では、スピードスケートの岡崎智美選手のお母さんの臨場感あるコメントを取るために朝早くから場所を確保し、岡崎選手のレースを一緒に見ながら、お母さんと楽しくお話ししたのも良い思い出です。

 

── そもそも、なぜ未経験でオリンピックのリポーターに選ばれたと思いますか?

 

駒村さん:
活躍しているリポーターはすでにスケジュールが決まっているのに対して、未経験の私は予定ゼロ。時間の融通が効くからスケジュールが組みやすかったんだと思います。

 

ただ、選ばれたのはいいけれど、経験もなければ知識もない。これはまずいと思い、長野オリンピックが始まるまでの半年間、図書館に通って、オリンピック関連の本を片っ端から借りてきて、ひたすら読みあさりました。

 

── リポーターとしてどのようなことを心がけましたか?

 

駒村さん:
オリンピックのリポーターに求められることは、そのスポーツの魅力を最大限に伝えることです。一夜漬けの知識だと選手にする質問も、視聴者にする説明もうまくいきません。そのためまずは徹底的に知識を頭に入れました。

 

長野オリンピックの取材中にお誕生日を迎えた駒村さん