余命半年の父と観た新喜劇「生きる意味を考えた」

── 芸大で夢は見つかりましたか?

 

松浦さん:
舞踏コースに在籍し、成績は良かったのですが、1位の子にはかないませんでした。

 

大学では舞台にかかわる他の分野の学生たちと交流をして、みんなで企画・運営するイベントのリーダーを務めたことも。やがて、振付・演出など、舞台全般に興味を持つようになりました。

 

あるとき、お笑い好きの私に同期が新喜劇オーディションを勧めてくれましたが、新喜劇はほとんど観たことなかったので、受験には踏みきれなくて。

 

さて、どうしようというときに、父が余命宣告を受けたんです。

 

高校時代の文化祭での松浦さん。「ここぞとばかりに調子に乗っていました」

── お父様の余命宣告で、生活は変わりましたか?

 

松浦さん:
脳の病気だったこともあり、本人は相当落ちこんでいました。仕事をやめて、電気を消した部屋に閉じこもってしまい…。

 

あんなに好きだったお笑いもいっさい観たくない、と。死んでいく人間に、笑いは残酷だって。大学とバレエを続けるためにバイトをかけもちして帰宅すると、毎日そんな状態。

 

これではみんなダメになってしまう。新喜劇ならドラマ仕立てだから軽い気持ちで観られるのでは、と父とふたりで真っ暗な部屋で新喜劇を観たんです。

 

父は、泣きながら笑っていました。あのとき、死を目の前にした人間を笑わせるなんて、新喜劇ってすごいと初めて気づいたんです。その半年後、父は55歳で亡くなりました。

 

新喜劇の舞台でバレエネタをきめる松浦さん。お笑いの舞台はバレエシューズに対応していないため必ずスニーカーを着用

── 余命半年のお父様との日々が、新喜劇の存在の大きさに気づかせてくれたのですね。

 

松浦さん:
父の死から1週間後、母が『吉本新喜劇金の卵8個目オーディション』を見つけてきて「受けてみたら?」と。

 

新喜劇について母に相談を持ちかけたことはありませんでしたが、あんなに娘をバレリーナにしたがっていた母のひと言は、何もかもうまくいかず焦燥感に苦しむ私を決心させました。

 

父の死によって、「人はいつ死ぬかわからないから、本当に好きなことをやろう」と、残された家族全員がようやく気づいたんです。

 

母の言葉に背中を押されて願書を出したのは、オーディションの締めきりの前日。

 

演技の試験がありましたが、台詞なんて初めての経験。面接では小籔兄さん(当時の座長)に「面白い話ない?」とふられても、父の死で落ち込んでいた私はいさぎよく「最近いいことなかったんで、ないです!」と。

 

小籔兄さんは「最悪ですね」とあきれていました。我ながらよく受かったと思います(笑)。

 

PROFILE 松浦景子さん

兵庫県出身。大阪芸術大学 舞踊コース出身。2015年吉本新喜劇入団、全国クラシックバレエコンクール優勝。YouTube『けっけちゃんねる』を運営。2021年に書籍化。バレエブランド展開等、多方面で活動。

 

取材・文/岡本聡子 画像提供/吉本興業株式会社、松浦景子