── 出産直後には、奥山さんのお母さまにダウン症のことを伝えるのをためらったとか。
奥山さん:母とは仲よしでしたが、動転していたこともあり、障がいのある子を否定されたらどうしようかと思い、なかなか言い出せませんでした。
でも、「一緒に育てましょう。ところでご飯は食べているの?」といつも通りの母の口調で、私のことも次男も丸ごと受け入れてくれたので、ホッとしたのと嬉しいのとで、涙が止まりませんでした。
後から聞くと、実は出産直後に美良生の顔を見たときから、ダウン症ではないかと思い、私がちゃんと育てているか、私がちゃんとご飯を食べているかをずっと心配して、考えていてくれたそうです。
否定どころか、初めから私たちを包み込んでくれていた母の大きな愛のおかげで、私はやっと次男の母になれた気がします。
障がいというベールを剥がす
── 公表後はどういう日常になりましたか?
奥山さん:お披露目ではないですが、美良生を抱えていろいろな場所に連れ出しました。
成長がゆっくりで動き回らないので、ボクササイズやヨガやランチなどに行くことができて、美良生のことを自然に知ってもらうことができました。
外の人に何度も会ってもらうたびに、会ってくれた人たちのなかで、障がいというベールが剥がれていったように思います。
── 現在、小学5年生の美良生くんは、普通学級に通っているんですよね?
奥山さん:そうです。幼稚園は支援学級に通っていたので、小学校も同様にしようと思いましたが、インクルーシブ教育を唱える先生に出会い、悩みましたが普通学級を選択しました。
支援学校や支援学級の必要性は理解しているつもりですが、できるできない、という能力によって人を分けているような仕組みに、今では違和感も感じています。
幸いに美良生は、学校にも同級生にありのままの美良生をそのまま知って、認めてもらっています。からかいやイジメの対象にもなっていません。
おこがましいですが、できないことがいる人の存在を知って大きくなった今の同級生たちが将来、先生や警察官などの職業に就いてくれた時の世の中が、どんな世界になっているかを見てみたいです。
私が教えることはできませんが…
── 息子さんたちをこれからどう育てたい、どう育ってほしいと思いますか?
奥山さん:子どもたちが好きなことや得意なことを見つけてサポートし、その背中を見守る親でありたいです。
次男は現在、料理教室に通っています。小さいころから、おままごとやおもちゃのキッチンで遊ぶことが好きでした。
料理となると私は教えることはできませんが(笑)。将来は手に職をつけるか、飲食店関係の仕事をしてくれればと思います。
PROFILE 奥山佳恵さん
おくやま・よしえ。1974年、東京都生まれ。‘92年『喜多郎の十五少女漂流記』でデビュー後は、ドラマやバラエティーなど出演多数。’01年に結婚。2児の母。著書に『眠れぬ森の育児』『生きてるだけで100点満点!』など。
取材・文/CHANTO WEB NEWS 写真提供/奥山佳恵