「自分が歌うべき歌」原爆ドームのあの日に

── 人生をかけて歌に向きあう覚悟が伝わってきますね。歌ってみたい歌や、歌を通じて伝えたいことはありますか?

 

元さん:
「こんな歌を歌いたい」というよりは、「どんな歌が来ても表現できる」自分でいたいです。

 

でも過去には、自分が歌うべきか迷った歌との出会いがありました。デビュー直後、イベントで広島に行ったときに、平和記念資料館を訪れました。

 

じつはどんな場所かわからずに行って、遠くない過去に自分の生まれた日本で起きていたことを知らないまま、自分が大人になったつもりでいたことを恥ずかしく思いました。

 

デビュー前に原爆をテーマにした歌を歌ったことがあるんです。トルコの詩人が作詞した『死んだ女の子』という曲なのですが、当時はあまり意味を考えず、ただ「怖い曲」だとうけとっていました。

 

── 7つのときに原爆で亡くなった女の子が語りかける歌ですね。私の娘も7歳なので、聴きながら思わず涙してしまいました。

 

元さん:
広島を訪れたことにより、自分が歌う意味合いを深く考えるようになりました。

 

それまでは歌うことがただただ楽しかったのですが、“人に何かを伝え、考えるきっかけを与える歌い手”になろうと心が決まりました。

 

平和や当たり前の日常への感謝を深く意識しだしたのは、このときからです。

 

坂本龍一さんに『死んだ女の子』をプロデュースしていただき、戦後60年の2005年8月6日にはテレビの報道番組の中で、広島の原爆ドームの前で歌いました。

 

その後、親になったことで、子どもたちが戦争に巻き込まれてほしくない気持ちも強まりました。

 

娘が小3のころ、テレビで旧ユーゴスラヴィアの内戦の映像を観ながら話し合ったことがあります。

 

民間人の若いカップルが橋の上で撃たれるのを観て、「悪いことしてないのにどうして?」とたずねてきたので、覚悟を決めて向き合いました。

 

この後、娘は「戦争はイヤだ」という作文を書きました。

 

私が『死んだ女の子』を家で歌っていたことも覚えているのかもしれません。私とのやりとりを通じて彼女なりに “歌のお守り”を受け継いでくれたのかなと思います。

 

この瞬間も、戦争やコロナでつらい思いを抱える方はたくさんいます。何げない日常を愛おしむ、大きな意味での“ラブソング”を死ぬまで歌い続けるつもりです。

 

PROFILE 元ちとせさん

鹿児島県奄美大島出身。2002年『ワダツミの木』でデビュー。アルバム『平和元年』で第57回日本レコード大賞「企画賞」受賞。今年、オリジナルとしては14年ぶりのニューアルバム『虹の麓』をリリース。2023年2月4日にEX THEATER ROPPONGIにて20周年記念ライブを開催する。


取材・文/岡本聡子 撮影/伊藤智美 写真提供/株式会社オフィスオーガスタ